仙台旅行記2020年秋-⑩
旅行期間:2020年11月3日~5日
(Tasting beef tongue at Kisuke, a popular beef tongue restaurant in the city of Sendai!)
仙台で食べる牛タンの味は?!
さて仙台初日の晩は先に宿泊する「ANAホリデイ・イン仙台」にチェックインして、荷物を降ろして地域共通クーポンも受け取り、満を持して晩飯を食べに仙台の夜の街へと繰り出していきます。そんな仙台で食べる料理は勿論牛タンで、その牛タンのお店が多い仙台の中でも人気店を既に探しているので、そこへと向かう事に。
夜の仙台の街にて
そして辿り着いたのが「喜助発祥の店 一番町店」という、こちらのお店。名前だけ見ると牛タン発祥のお店のようにも思ってしまうけど、牛タン料理の発祥は佐野啓四郎氏が経営していた『太助』というお店だそうだ。
この「喜助」というお店は牛タン料理が生まれた1950年頃から約25年経った1975年に創業されたお店で、マイナーな仙台料理だった牛タン料理を全国区にしたお店だという。その「喜助」のお店発祥がここだった訳だが、ご覧のように本日は夜の営業はお休みだった。。
ピンポイントでさっきの喜助に標準を合わせていただけに、閉まっていたので急に動揺してしまう。仙台市内にはたくさんの牛タン屋さんがあるのだけど、どこに行っていいのか、迷ってしまう。という事でとりあえず歩く事にする。
歩くのはもう沢山やから、早く牛タン食べさせて!
その途中に見えた良い雰囲気を感じさせる横丁は、「仙台銀座」という戦後に栄えた飲み屋街になっているようだ。ただオカンはこういった飲み屋には行かない人なので、見るだけで通り過ぎる事に。。
「味の牛たん喜助 南町通店」で晩御飯!
仙台市内には数えきれない程の牛タン屋さんが密集しているので、適当に歩いてたまたま見つけたお店に入ろうかと思っていたけど、同行しているオカンからは既に旅初日から散々歩かされてお疲れだという悲鳴が聞こえて来たので、近くにある別の喜助を探して入る事にしたのである。
牛タン料理というと、この写真を見れば分かるように厚く切られて既に焼かれた状態で出てくる料理であるが、別に仙台でだけ食べられる訳ではなくて、今では日本全国で普通に食べる事が出来る料理となっている。
しかしこの仙台ではその牛タン料理が発明された場所として有名で、仙台市内の牛タン料理屋密集度も他の地域とは比べ物にならない程に多い。ただこの喜助というお店は国内に15店舗も牛タン店を出店しており、特に古風な牛タン屋のイメージがあるお店ではなくて、お土産なども多数扱っている全国チェーン展開しているお店だった。
この喜助では仙台まるごとパスを購入すると付いてくるクーポンブックの特典対象となっているお店で、クーポンブックを提示するとグラスビールが1杯無料となっていた。だから仙台まるごとパスを購入している場合は、特典が付く飲食店に行くとメリットがある場合もある。
※現在はグラスビールではなく、ウーロン茶のサービス提供となっています。
グラスビール1杯ずつのサービスはあったけど、それだけじゃ足りないので瓶ビールも合わせて注文する。このお店では瓶ビールでアサヒ・キリン・サッポロと選べたけど、こういう場合は何故かサッポロビールを選んでしまう。
無意識にこの黒地に星が輝く黒ラベルを選んでしまうのか?!
そして注文してから約7分後に運ばれてきたのは、ちょっと豪華な「特切り厚焼き定食6枚切り」(2,390円税抜)である。牛タン定食というと、この牛タン厚切りにしたものと、テールスープ・麦飯・浅漬け・みそ南蛮が基本セットとなっていて、これはどの牛タン屋さんに行っても定番の内容となっている。
牛タンというと普段は焼肉屋で最初によく食べるイメージがあるけど、このように牛タン定食では焼肉用のスライスされているタンではなくて、このように厚切りになっている。そして牛タンは牛の舌の部位でとても弾力があるので、食べやすいように切れ目が入れられて焼きあげられている。
オカンが注文したのは普通の「牛タン炭火焼定食」で、ボクの厚切りと比べると少々薄く見える。ただ若い内は歯に不安がないけど、ある程度お歳を召すと歯が悪くなって嚙み切れなくなるようで、硬い物やこの牛タンのように弾力があるものは食べづらくなる傾向があるようだ。
まだ私はそこまで歳取ってないので、こんな牛タンなんてヘッチャラです!
この牛タン定食が仙台発祥とされているけど、元々日本国内では明治時代になるまで牛料理は殆ど一般的に食べられてはいなかった。牛を一般的に食べだしたのは文明開化が起こった明治時代になってからで、それまで日本人にとっては農耕の手助けになる牛は食べる物という認識になっていなかった。
特切り厚焼きの牛タン 動画
仙台でこの牛タン料理が生まれたのは、第二次世界大戦でこの仙台の街が空襲に襲われて焼け野原になった後で、GHQの進駐軍がまだ日本を支配していた頃のようだ。一般的には滞在していた進駐軍が自分達の食べ慣れたアメリカ産の牛の肉を取り寄せて食べて、アメリカ人が食べない牛の舌が余ったからそれを利用したという話が広まっている。
ただ実際の所はアメリカから輸入された牛肉は精肉加工された状態で日本に送られていたので、アメリカ人が食べないタンの肉は日本には輸入されていなくて余る事もなかったとか。戦後の屋台が立ち並ぶ飲食店街で、新しい料理を開発しようと考えていた店主が牛タンの美味しさに目を付け、地元の牛農家を訪れて数少ない牛タンの肉を手に入れて、それで料理を出したのがきっかけだとか。
こちらの「味の牛たん喜助 南町通店」は雑居ビルに入っているチェーン店で、店内で働いている人も入ったばかりのバイト君みたいな感じで、歴史ありそうな雰囲気は残念ながら全然感じられなかったお店。
もし仙台で牛タン発祥のお店に行きたいと思っているのであれば、牛タン料理を作った佐野啓四郎氏のお店「味太助」が、今は息子の代になっているけど営業しているので寄ってみてもいいと思う。
仙台では牛タン屋さんがとても多くて仙台らしい郷土料理に思えるけど、仙台で食べれる牛タンの約9割はアメリカ産のタンが使われており、実は殆ど国内産のタンは使われていないという。だから仙台市内でご当地の牛タン料理を食べたとしても、仙台牛の牛タンを食べた訳ではない。
※最近では数少ないが、国内産牛の牛タンを提供するお店もあります。
だから牛タンってわざわざ仙台で食べなくても、チェーン店などが大阪にも出ているので大阪で牛タン定食を食べても、基本的に同じ味付けをしているので同じ味で同じ触感を体験できる。逆に大阪で営業している牛タン屋さんで食べた方が、美味しく感じたりもしたが。。
よく郷土料理などの名物を出すお店は「発祥の店」や「老舗」とか紛らわしい表示をしているけど、そういったお店程によ~~く調べると客寄せの為にそういった名前が使われているだけで、この「喜助」も牛タン発祥のお店ではなくて、1号店は「喜助のお店の発祥地」というだけだったのだ。。
1号店が発祥地というのは、ごく当たり前の事やで!
さて食後はちょっと仙台の街を散歩しようかと思っていたけど、今日は既に歩き疲れたというサインを見せているオカンをこれ以上連れまわすと、いい歳してブチ切れるのでホテルのある方向へと戻る事にする。
この仙台市の中心部は、仙台駅を起点として周辺にある商業施設などは歩道橋で繋がっているので、移動するにはとても便利になっている。さすが東北の中でも一番規模の大きい都市だけある。
こちらがJR仙台駅西口ロータリー付近の景色で、1977年に完成した6代目駅舎が見えるけど、度重なる改装もあって全然古そうな外観には感じない。この仙台駅が開業したのは明治20年(1887年)でその当時、上野駅~仙台駅の区間を移動するのに12時間20分も掛かっていたという。しかし現代では新幹線を利用すると最短で約1時間30分程になっており、これまでの約140年間の技術の進歩が伺える。
JR仙台駅はコロナ禍前までは新幹線も合わせて、1日約18万人も乗降客が利用していたという。ちなみにJR大阪駅は1日の利用客が約86万人にもなるが、これでも東北の主要な都市の中でがダントツの一番である。
そんな東北で一番大きな駅だけあって、メインの西口前にはズラ~~と並ぶタクシーの一団が見えている。ただ普段からこれだけの数のタクシーが待機しているのかは分からないけど、コロナ禍によってタクシー利用客も激減した為に、タクシー運転手さん達も祈る思いでこの東北で一番大きな仙台駅に集まってきたから、こういった光景が見られたのかもしれない。
そして仙台駅にはこのようなお土産品を販売しているコーナーも充実しており、観光客が喜びそうな駅となっている。
ズンダ餅、ズンダ餅、買いたいよ♪♪
そんな大きな仙台駅を眺めた後は、部屋に戻ってからコンビニで仕入れていた缶ビールを飲みながら、さっき食べた牛タンや今日訪れた仙台城の事などを回想しながら、夜更かしするのであった。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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