沖縄旅行記2020年秋-㊾
旅行期間:2020年11月11日~14日(3泊4日)
(Visiting the recreated tomb of King Yingjo at the Urasoe Gusuku Yoreikan beside the Urasoe Castle ruins [Okinawa Travelogue 49])
浦添の新しい霊廟
ここは沖縄県浦添市の浦添城跡西側に造られている、「浦添グスクようどれ館」というちょっとした資料館になっている施設。入場料は大人100円が必要だけど、100円なんて缶ジュースを買う位の金額なので、休憩も兼ねて中を見学する事に。
「浦添グスクようどれ館」にて
そしてかつてこの辺りにあった集落跡の上に造られている駐車場に、体つきがしっかりした猫ちゃんが姿を現す。最近猫好きになってきたボクとしては、このチャンスを逃す事なく、猫ちゃんに接近を試みた。
しかし普段から食べ物や飲み物を全く携帯していない事もあって、エサで猫ちゃんを吊る作戦は使えずに、岩合光昭さんのテレビ番組で習得した”猫っぽい鳴き声”を放つ作戦を実施する。個人的には人馴れしている猫ちゃんには、この鳴き声が効果ある事が多いけど、あまり人間を相手にしていない猫ちゃんには無視されてしまう事が多いのであるが。。
「浦添グスクようどれ館」近くにいた猫 動画
さて猫ちゃんに相手されなかったので、さっさと「浦添グスクようどれ館」の中に入る。コロナ禍によってこういった観光施設などの受付の際に、訪問者の住所や名前や電話番号を記入しないといけない所が増えたけど、今まで1軒もその後にコロナ感染の可能性があるというような電話は掛かってきた事がない。
館内はこのように名前からも分かるように、浦添城脇の霊廟だった「浦添ようどれ」の説明に特化した施設となっており、このように昔に撮られた写真などを交えた説明板が所狭しと飾られている。
「浦添ようどれ」の入口は、このような天然の岩盤が門のような役割を果たしていて、近寄りがたい雰囲気を醸し出していたようだが、この光景は残念ながら1945年の沖縄戦で破壊されてしまっている。今見られる「浦添ようどれ」は近年になってから復元された物である。
こちらはボクがこの場所を訪れるキッカケになった映画でもある、『ハクソー・リッジ』の劇場ポスターである。主人公は衛生兵のデズモンド・ドスという人物で、その主人公を演じたのはアンドリュー・ガーフィールドという『アメイジング・スパイダーマン』シリーズで主役を務めた人物でもある。
この『ハクソー・リッジ』というアメリカ側から沖縄戦の戦いを描いた内容の映画を観なければ、この前田高地という名前も、ハクソー・リッジという名前も知らなかった事だろう。そして沖縄に来ても観光客が一般的によく訪れる場所ばかり行って、普通の観光をして帰っていっていた事だろう。
宜野湾から攻め込んでくるアメリカ軍を撃退する為に、琉球王国時代に浦添城として使われていた場所に塹壕などを設営し、迎え撃った日本軍。しかし、この時期には武力に勝るアメリカ軍に対して、日本軍はまともな軍需物資の供給すらままならず、敵がマシンガンを持って向かってくるのに、日本兵は木の棒に銃剣を括りつけて突進せざるを得ない程に窮地に立たされていた。
それでも日本兵は”陸上の特攻隊”という感じで、敵兵に突撃していった。その有様は「日本兵は恐れを知らない!」とアメリカ軍に言わせる程に危機感を抱かせる程の迫力だったらしいが、退路を断たれた日本兵はそうするしか選択肢が無かったのだろう。
この前田高地やハクソーリッジと言われる高台を日米軍が奪い合い、地下の塹壕穴に隠れて戦う日本兵に対して、アメリカ軍は火炎放射器などでその塹壕を焼き尽くす作戦を行った。こちらに展示されているのは、真っ黒で何かと一瞬思ってしまうけど、おにぎりがここまで炭化する程に高い温度で焼き尽くされた事を物語っているように見えてしまう。
いくら日本兵が穴の中に隠れたからといっても、アメリカ軍は火炎放射器や手榴弾などの豊富な武器でその洞窟を徹底的に攻撃した。そして日本兵が出てこれないように出入口を破壊したりして、徐々に前田高地はアメリカ軍が優勢になって支配していく。
沖縄戦でもこの前田高地での戦いが最も過酷な場所だったと言われており、こちらの米国軍人の持っていた水筒は、最後まで徹底抗戦しただろう日本兵の放った銃弾が貫通している穴も見られる。
そしてこちらの浦添グスクようどれ館には、浦添城の北側崖下に造られていた霊廟を再現した部屋が造られている。その霊廟には「てだこ(太陽の子)」と称された、13世紀頃に琉球王国の国王だったとされている「英祖王」が入っていた部屋となっている。
この英祖王の霊廟だった部屋を、ほぼ同寸でこの場所に再現しているという。天井は高い場所で約3.6mあるらしいが、それは最も高い所なので、全体的な天井の高さとしてはちょっと低い感じもする。
その霊廟内には3つの厨子(骨壺)が設置されていて、それぞれに10人以上の遺骨が納められていたという。だから正確には英祖王だけのお墓ではなく、英祖王の一族のお墓である。なお、沖縄では個人のお墓ではなく、その一族がまとめて入れられている事が多いようだ。
この厨子にはそれぞれに仏像などの彫刻が掘られており、沖縄に現存する最古の仏像彫刻品だとされている。ここ沖縄の宗教は沖縄神道だけど、このように古代中国から入ってきた仏教の教えも伝来していたという事が分かる品になっている。
この仏教も元々はインドで他の宗教から派生した物だが、地元のインドではヒンズー教などに弾圧された為に流行らずに、代わりに東南アジアの方に流れていって、中国などのアジア地方に拡がっていた。
意外とインドではウケなかったのじゃ!
こちらの厨子は上にガラスが張ってあるが、透明なのでその中に入っている骨などを見る事が出来る。昔は出来なかったけど現代はDNA技術などが進んだ為に、このような遺骨を調べる事によって、その人物が中国系のDNAを持った人物だった事なども今では分かるという。
これが本物の人骨だったのかは分からないけど、このように拡大鏡が付いている事を考えると、本物の遺骨だった可能性が高そうだ。ただ素人からしたら、このような骨を見せられた所で、それが「骨」としか分からないので、ただ骨を見るだけなのである。。
意外と人骨って見る機会ないよね!
伊祖城跡へ向かう!
そして一通り見学した後は、ここから更に北西の方向にある「伊祖城(いそじょう)跡」という、城跡へ向かう事にした。この伊祖城跡という場所がどういった場所なのかは全然知らなかったけど、城跡という位なので行けば何かしらあるだろうというノリで進んで行くのであった。。
いつもノリな行動が多いのね!
ここ「浦添グスクようどれ館」から伊祖城跡までは、徒歩で約20分圏内。
沖縄の住宅街には本当にこのように各家庭に、シーサー像が飾られているのが見られる。沖縄県民のみんながこのシーサー像が魔除けなどと考えているのか、それとも周りがシーサー像を設置しているので自分もしないと村八分になると思っているのかは分からないが。。
沖縄ではシーサー像は必需品サ~!
今日は最終日で登場予定の飛行機は17時台と、まだまだ時間的には余裕がある。なので沖縄の街を歩いてウロウロとする余裕がたっぷりあるので、回り道や行き止まりの道を進んでも楽しめる。
浦添大公園の展望台にて
伊祖城跡がある方角の方へと進んで行くと、このような右に行ったり左に行ったりしながらじゃないと登れないような展望台が見えてくる。ボクの旅は写真を沢山撮る旅と言っても過言ではないので、ここは登るしか選択肢はない。
その展望台に登ると、このように目の前に広がる宜野湾市がよ~~く見渡せる景色が一望できる。沖縄観光はレンタカーを借りて巡るのであれば楽だろうが、レンタカーを借りずにゆいレールだけで移動するとなると、この宜野湾市などはかなり歩かないと辿り着けないので恐らく訪れる事はほぼ無いのだろう。
こちらは北西側の景色で、目的地の伊祖城跡がこの先にあるハズなんだけど、それらしき場所はここからは見る事が出来ない。ただ城跡とはいいながらも、城があったとされている跡の可能性が高そうな予感を感じる・・・。
この展望台の東南方向に、在日米軍海兵隊の軍用飛行場である普天間飛行場がある。そしてここ周辺は普天間飛行場へ着陸する飛行機の侵入経路になっているので、このすぐ上を飛行機が爆音をなびかせて通過していく場所ともなっている。
飛行機って、近くで見ると凄い爆音しか聞こえない・・・
浦添大公園からの景色 動画
この展望台の下には珍しく、沖縄そばを提供するお店が営業していたけど、もう沖縄では沖縄そばを食べたいとは思えないようになってしまっていたので、ここでの昼食はパスして良いお店が見つかるまで我慢する事に。
さて浦添市と宜野湾市の景色などを眺めた後は、引き続き目的地の伊祖城跡へと向かいます。この展望台から北西側に進めば伊祖城跡があるらしいのだが、この先を進んで行くとその先の通路が通行禁止になっていたが。。
回り道が楽しんじゃなかったっけ?!(笑)
こんな旅はまた次回に続きます!
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