中城城の本丸だった一ノ郭で、ペリー提督も出入りした正門をくぐる【沖縄旅行記㉖】

沖縄旅行記2020年秋-㉖

 旅行期間:2020年11月11日~14日(3泊4日)
(Passing through the main gate of Ichinokaku, the former main castle of Nakagusuku Castle, where Commodore Perry also entered and exited[Okinawa Travelogue 26])

美しい城!

「これが沖縄にかつて存在していた琉球王国の城だ!」という感じで、美しい曲線型に模られた城郭が形成されている、世界遺産『琉球王国のグスク及び関連遺産群』にも指定されている「中城城跡(なかぐすくじょう)

 

【中城城跡(なかぐすくじょう)

住所:沖縄県中頭郡中城村泊1258
営業時間:8時30分~17時頃
電話番号:098-935-5719
入場料:大人400円/中高生300円/子供200円
無料駐車場あり(50台程)

 

 

 

中城城跡の一ノ郭を見学!

この中城城は琉球王国の14世紀後半頃に建造されたと考えられている城跡で、今見ている部分が城の本丸にあたる「一ノ郭」。ここにはかつて立派な本殿が建設されていたと考えられていて、この奥に仕切られて入れない部分にある石などは、その本殿があった場所の遺構跡となっている。

 

こちらが一ノ郭の中庭に置かれていた岩で、こちらもお城の石垣に使われている琉球石灰岩となっている。沖縄らしい石垣の特徴であるこの琉球石灰岩が使われている点で、日本の他の城とは雰囲気が違っているのだろう。なお、修復中の石垣は再び石垣として使われる為に、石にはそれぞれ番号が振られている。

 

この中城城は14世紀に「先中城按司(さちなかぐずくあじ)という人物(按司とは称号/役職の1つ)が数代に渡って築き、治めた城である。そしてその後、「護佐丸(ごさまる)という第一尚氏王統に仕えた人物が変わって支配し、その統治時代に中城城を増築して今の形にしたとされる。

 

中城城を改築し、第一尚氏王統に身を尽くした城主の護佐丸であるが、最後はライバルの策略に遭い、謀反の疑いを掛けられてその疑いを晴らす為に家族と共に自害したという。見事自分の策略通りに事が運んだと調子に乗ったライバルは、そこから更に王様まで倒してしまおうと欲張るが、その計画は上手くいかずに自分も結局は滅ぼされてしまう事になる。

琉球姫
琉球姫

野望ってのはなかなか叶わないのよね!

 

この今見られる中城城の石垣も、これまでに緩んだ石垣の解体補修工事が行われているようだ。ただこのような歴史的な石垣の解体補修工事を行うと、色んな事を発見できる機会でもある。日本本土の石垣は全部が大きな岩ばかりで形成されているのでではなく、その中には小石や砂などが入れられている事が多い。それに対して沖縄のグスク(城)では、基本的に琉球石灰岩の岩のみで形成されているので、大雨が降っても水が抜けやすいという長所があるそうだ。

 

それと共に沖縄県では比較的地震が少ない事もあって、このようなグスクを造れば基本的には本土の城よりも長持ちするという。しかし沖縄は自然が豊かな場所なので、そんな石垣にも生える植物を適切に排除して管理していけば、長くその形を維持する事が出来るようだ。

 

こちらは一ノ郭の西側の出口である挟門で、一ノ郭に入る主な道だった場所。こちらの門のある石垣は平成に補修解体工事で修復済だけど、この石垣たちは江戸時代末期に沖縄に上陸したペリー提督一行を、ここで出迎えた事だろう。もしこの石垣たちが喋れるのであれば、是非その時の体験とかを聞いてみたいものである。

沖縄43
沖縄43

意外と石垣達が喋りだしたら、うるさいサ~!

 

 

南ノ郭にて

この南ノ郭は先中城按司がここを築いた初期に造られたエリアで、ここには拝所が何個も設置されている。こちらは「雨乞イノ御嶽」と書かれており、恵みの雨を降らすよう神様にお祈りする場所だったとされている。

琉球姫
琉球姫

雨はこの地球上の生物に必要な物質だからね!

 

そんな「雨乞イノ御嶽」の場所には、このような大きな琉球石灰岩の塊が鎮座しているのが見える。大きく独特な形をした大岩に、特別な雰囲気を感じ取ってお祈りの対象物として昔から拝められてきた事だろう。

 

そしてこちらは「小城ノ御イベ」という名前が付けられている、”神の島”久高島に対してお祈りをする拝所。こちらの対象物は先程の物に比べるとあまり大きくないけど、ここで神の島に対してお祈りをしていた事であろう。

 

そして次は「御富蔵火神(うとぅくらひぬかん)という、首里に向かってお祈りする場所。当時の琉球の人々はお祈りに熱心だった事が分かる程に拝所が何個も造られているけど、ただ現代でもここにわざわざお参りする人も今回の滞在中に見かけた。

 

特にこの中城城の城郭の上からの素晴らしい景色を眺める訳でもなく、次々とこのような拝所を巡って行く姿が見られた。なので今でも信仰の深い人達がこのような礼拝でお祈りしているので、観光客はそんな人達の邪魔をしないようにして観光する必要がある場所でもある。

 

 

中城城の正門にて

そんな拝所が何個もある南ノ郭を抜けると、下に「正門」が見えてきます。本来の見学順路であれば、入口からカートでこっち側まで案内されて正門側から入っていくのですが、今回の見学はそんなルートの反対側から見てきているのである。

 

城というのはやっぱりまず一番に守りの堅さが求められた事もあって、ここから見上げるとさっきまで滞在していた一ノ郭が、とても高い場所に設置されていた事が分かる。もし敵がこの城を攻め込んできた際には、このように高い場所から弓矢や岩などを投げていた事だろう。

 

こちらが「正門」となっていて、他の建造物とは違って、大きくて四角い岩が積まれているのが見える。それだけ重要な門だったという事が分かり、しっかりした強度というのも見ているだけで理解できる。なお今ではその門はこのように岩だけとなっているが、昔はこの上に櫓のような建造物が設置されていて、ここに攻め込んで来る敵を撃退するようになっていたようだ。

 

この中城城は2000年に世界遺産に登録されたが、その前に沖縄が日本に返還された日の1972年5月15日に国の史跡に指定されている。こちらはその記念碑だけど、世界遺産に登録されちゃうと流石に国の史跡という印象が薄れてしまっちゃっているのだが。。

 

こちらは城の外側から、正門を見た景色。今ではこの正門の上には何も無いのであるが、昔はここに警備兵用の建物があったとされているので、ここからは一ノ郭を見る事が出来なかった可能性が高い。

 

それとこの国の史跡の記念碑がある場所近くの石垣の下に、ボコっとした穴がある。その穴はこちらの説明によると、1945年の沖縄戦の時にここにやって来た日本軍が、この中城城の下に塹壕を造ろうとして爆薬を配置して壊そうとした跡だという。しかし石垣が思った以上に堅固だった事と、作業中に移動指令が入った事により、結局塹壕となる事は無かった。

 

この中城城には日本軍が駐留しなかった為に大きな戦いには巻き込まれなくて、それが幸いして今見られる城郭がほぼ綺麗な形で現存しているのである。もし当時の日本軍がここに塹壕を掘って籠城していれば、近海に待機しているアメリカ軍の戦艦からの砲艦射撃が行われて、この中城城の城郭も無残に破壊されていただろう。

琉球姫
琉球姫

こんな素晴らしい遺跡が残ったのも、紙一重なのよ!

 

そしてこの中城城の西側の先に原っぱが見えているが、そこが例の幽霊ホテル「中城高原ホテル」がかつて存在していた場所である。約40年以上に渡って建設途中で放置されたままとなっていて、地元民には有名な心霊スポットだった場所ともなっていたようだ。

 

解体前の中城高原ホテル

解体前の中城高原ホテル

これは「中城高原ホテル」がかつて存在していた時の写真である。このように中城城の横に大きなリゾートホテルの建造が計画されて実行に移されるが、その建設途中にその会社が破産し、また沖縄返還に伴って出入りに使う道路が文化財保護区域となって使えなくなった事もあって、仕方なく放置されてしまったという。

 

しかし40年以上も放置されていた建物だけど、隣の中城城は世界遺産にも認定されてしまい、そのような世界中から観光客が集まる観光地に放置され続けている事に対しての非難が日々追う毎に強くなっていった。そして沖縄側が所有者の娘に補償内容を提示し、それが合意されて2019年に解体工事が進められて、今ではこのように更地となっていた。

こんな建物が存在していたなんて、全く知りませんでしたね・・・

 

事前にその訪れる観光名所の予習もしないし、現地のガイドさんも雇わないと、そういった知識も殆ど得られない。辛うじて敷地内に設置されている案内板などの説明を見て勉強するだけであるが、やっぱり訪れている時にもっと知識を得ようという意欲を見せた方がいいなと思うのである。

琉球姫
琉球姫

こんなポーズで自撮りしている暇あれば、もっと勉強した方がいいよ!

 

この中城城は現在も解体修復工事が行われているようだが、まだまだかなりの年月を要するようだ。このような石垣の解体修復工事というのは、出来るだけ忠実に元通りの形に戻さないといけないし、また歴史的な手掛かりも手探り状態で調べているので思っているよりも手間と時間が掛かる事だろう。

 

このように下に降りると、中城城の城郭を大きく見渡す事が出来る。この辺りにはアスファルト舗装の道があったけど、コロナ禍前までは入口からこの正門側までカートで乗せて移動してくれていたようだ。道理で道路にはカートのタイヤらしき痕跡が見られる訳だ。

 

 

城内に造られた「大井戸」にて

さてこれで中城城も東側から入って西側に抜けて、一通りの見学は終了。勿論その外側にも城郭は造られているけど、この先に下に降りる階段が設置されていたので、何があるのかを確かめに降りる事とする。

 

そして階段を降りて行くと、とても古そうな感じの人工的な道と壁が見えてくる。その先の壁に生えている苔の感じなどが、その長い歴史を感じさせてくれるような雰囲気を漂わせていた。

 

こちらは中城城内に2箇所造られていた井戸の1つで、「大井戸(うふが~)」という名前が付けられている。今では簡単に蛇口を捻ったり、お店でペットボトル入りのミネラルウォーターを買う事が出来るけど、昔は生物が生きる為に必要な水の確保がその命の命運を握っていた。

 

特にこのような高台にある城では、籠城したら生き延びれるだけの水が必要になる。兵糧など食べ物は保存が効く物を作る知恵があったけど、水は保存が効かない。なので城を造る場所にはこのような井戸が無ければ、籠城しても長い間持たなかったのである。

 

ただこの案内板もかなり昔に設置された物だし、この井戸も現在は使われていないので、近づいてみるとあまりいい匂いがしなかった。。だから何でも自分の目で確認したいと思う意欲的な人は階段を下って見てみるといいけど、そうでない人からすればわざわざ階段を降りてまで見るべき物とまでは思わない井戸だった。。

 

そしてこれにて約30分滞在した中城城の見学は終了。世界遺産に認定されているとは思えない程に観光客は少なかったけど、コロナ禍もあって海外からの観光客が来ないし、国内もまだまだ観光客が戻ってきていないので、人が少ない分じっくり見学できたのであった。

 

こちらの看板に描かれていた可愛らしいキャラクターは、この沖縄県中城村のマスコットキャラクターである「護佐丸(ごさまる)」。護佐丸というと15世紀中頃にこの城に赴任した城主であるが、特に捻りもなく、そのままの名前が使われていたのであった。。

沖縄43
沖縄43

言ってくれたら、オレがいつでも ゆるキャラやるサ~!

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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