那覇市の沖縄県立博物館で、琉球時代から独自の文化を築いた歴史を勉強【沖縄旅行記㊴】

沖縄旅行記2020年秋-㊴

 旅行期間:2020年11月11日~14日(3泊4日)
(Studying the history of Ryukyu and its unique culture at the Okinawa Prefectural Museum in Naha City.[Okinawa Travelogue 39])

琉球の歴史

さて那覇市にある「沖縄県立博物館」の見学は、まだまだ続きます。想像していた以上に大きな博物館で、かなりの広さにも関わらず色んな展示が所せましと置かれており、これらを見学するだけで小一時間以上は掛る事だろう。。

 

 

 

沖縄県立博物館の見学!

こちらには中国の文化の影響を大いに受けていたのがよく分かる、琉球王国時代の女性神職の正装だった衣装。第二尚氏王統の初代国王:尚円王が姉に送った、特別な神職の衣装を復元した物のようだ。

 

赤い衣装には花鳥風月など豪華な装飾が施されていて、当時の華やかさの象徴がこの衣装に籠められているのが分かる。

琉球姫
琉球姫

この衣装を着るのが憧れよ!

 

その衣装と共に展示されていた、こちらの扇子は黄色の地色の上に、カラフルな鳥や雲が浮かんでいる様子が描かれている。人類が興味を抱く対象は色々とあるけど、このように赤色や黄色などは昔の人達にも愛されていたのが分かるような気がする。

 

そして次に見えてきた鐘は、首里城の近くにかつて存在した臨済宗妙心寺派の仏教寺であった「円覚寺」の仏殿内に掛けられていた鐘。その円覚寺は1494年頃に第二尚氏王統:3代目国王の尚真王が、亡くなった初代国王の尚円王を弔って建立した寺院。

 

それ以降、円覚寺は第二尚氏王統の菩提寺となって存続していったが、沖縄戦では歴史的な建造物である石橋を除いてほぼ崩壊してしまっている。なお、円覚寺には第二尚氏王統の歴代国王達の肖像画も保管されていたそうだが、残念ながらその肖像画も全て焼失してしまっているそうだ。

 

そのお隣にはさっきの鐘と似たような形状になっている鐘が置かれていたけど、こっちの方が大きい。こちらの鐘は同じ円覚寺の鐘楼に飾られていた鐘で、沖縄で現存する鐘の中も最も大きい鐘だそうだ。

 

こちらは鐘の上部に付いている取っ手のような部分だけど、龍の顔になっている。この鐘は置かれているだけなのであまり実感が無いけど、本来は鐘楼に吊るされているので、この部分に棒を通して吊るしていたのだろう。

 

この円覚寺の楼鐘は元々は1496年に造られた物らしいけど、痛みが激しくなった為に1697年に改めて鋳造された物で、その重さは実に1.9トンになるという。今ではその鐘の音が鳴り響く事はないだろうが、約300年近くに渡って鐘の音を響かせてきた事だろう。

 

その次に置かれていた城(グスク)の模型は、昨日訪れた中城城跡のようにも思えるけど、中城城跡ではなくて沖縄中部の読谷村にある「座喜味城(ざきみぐすく)。「中城城跡と似ているな~!」と感じたのは、中城城跡を築いた護佐丸がこの座喜味城も築いたとされている為のようだ。

 

ただ中城城跡は沖縄戦で殆ど被害を受けずに現存しているが、この座喜味城は沖縄戦で日本軍の高射砲などが敷かれた基地となったので激しく攻撃されてしまい、ほぼ倒壊してしまった。しかし、今では長年の調査や復元工事の甲斐もあって、かつての綺麗な城郭の姿を取り戻しているそうだ。

 

 

沖縄の城跡が美しいのは、城の造り手であった護佐丸の築城センスが突出していたからかもしれない。人が魂を籠めて製作した物は、時代を経ても劣化せず、後年の人類にも愛される物となる事を証明しているかのようにも思える。

 

そして次にあったのは「琉球使節」と呼ばれた、薩摩藩に支配された琉球王国が江戸に向かって定期的に参府していた行進の様子を絵に描いたもの。琉球使節は”江戸上り”とも呼ばれており、琉球王国が薩摩藩の属国となった1634年頃から約200年の間で計18回に渡って行われていた行事である。

 

俗に言う”参勤交代”のようなシステムでもあったが、当時の日本国内の文化とは違っている琉球文化をその道中で見せつける意味合いもあったとか。この琉球使節団は約1年という長い年月を掛けて往復していたとされており、それなりの費用が掛かっていた事だろう。

 

こちらの行列の様子は1850年の琉球使節団を描いたもので、他の大名の参勤交代とは違って、中国王朝からの使者というような出で立ちなので、その通り道の庶民の興味を惹き付けた事だろう。

 

そして沖縄の民族音楽で必ず目にするのが、こちらの蛇の革を使用して造られている「三線(さんしん)」。元々は中国大陸からやって来た弦楽器がルーツとされているが、日本国内で大きく発展して浸透していった楽器。沖縄や奄美大島などに行くと、夜の街でこの三線を弾く音が聴こえるので、それを聞くと南国に来たというイメージが脳内で増幅する。

 

そしてその隣にあった4本の弦が張られている楽器は、三線ではなくて「四線(しせん)」である。ボクの家系は音痴ばかりなのであまり音楽には疎いので、このような弦が1本増えるからと言ってそこまでの影響があるのかと思うけど、楽器を扱う人にすれば弦が1本減るか増えるかは大きな問題だろう。

 

三線と四線を横に置いて比べると、蛇の皮が使われている三線の方がより沖縄的な楽器に見えてしまう。しかし、奏でる音としてはそれぞれに特徴があり、両方共に沖縄では愛されている楽器である事には変わりはないだろうが。

 

江戸時代には幕府がそれぞれの地を治める大名に領地を詳しく記した地図を作らせて提出させていたが、沖縄でも同じような地図が作成されていた。こちらの地図は昨日訪れた世界遺産「斎場御嶽」付近の知念を描いた物で、右下には”神様の島”とされていた久高島も記されているのが分かる。

 

モノクロの地図とは違って、このように領地が色分けされていると、その区別がとても分かり易い。単に地図を作成するだけではなくて、その地図を見る側の人にとって簡単に見分けるようにする工夫も凝らされていたのかもしれない。

 

そして奄美大島を訪れた時にも少し勉強したけど、江戸時代に薩摩藩の支配下にあった琉球王国は”黒糖地獄”と呼ばれる、サトウキビを強制的に造らされて搾り上げられるという圧政に苦しめられていた。その為に満足に食糧を確保できなかったので、仕方なしに毒が含まれているソテツの実を食べざるを得なかった。ソテツの実には毒が含まれているが、水に漬けて毒抜きをすれば食べれるのだが、その処理を誤って毒が抜けてないソテツを食べて亡くなった人が沢山出て「ソテツ地獄」とも呼ばれた。

琉球姫
琉球姫

ソテツ地獄や黒糖地獄など、沖縄は負の歴史を生き抜いてきたのよ!

 

日本全国でよく見られるソテツも、ここ沖縄や奄美大島ではその意味合いが変わってくる。本州の人からすれば観賞用植物として知られるソテツであるが、ここ沖縄諸島では生き延びる為のソテツであった。だから、未だに奄美大島ではソテツばかりが生えている林などが見られるが、その群生地は自然になった物ではなくて、食糧確保の為に人工的に植えられた物が多いのである。

 

 

鎖国していたイメージが強い江戸幕府だけど、その後半は多くの外国船が日本と貿易をしようと押しかけていた。それまではオランダのみ通商を行い、中国は琉球王国経由で貿易をしていたが、それ以外の外国との貿易は頑なに江戸幕府は拒否する姿勢を保った。

 

しかし、その強固なガードを打ち破ったのが、あの有名なアメリカ合衆国のペリー提督である。ペリー提督は人間は圧倒的な武力を見せつければ怖気づくというのを理解していたので、大きな軍艦数隻を伴って来航し、見事意中通りに開国に成功した。ちなみにペリー提督はいきなり浦賀に乗り込んできた訳ではなくて、その前にここ沖縄を訪れて、その土地を検地している。

 

その際にペリー提督が日記に描いていた様子は、『ペリー提督日本遠征記』というタイトルの本で現在でも入手する事が出来る。新しい時代を切り開いた人達に共通するのは、強い信念を持っていて、それをやり遂げるという強い意志と勇気を兼ね備えた人であった。

 

 

こちらは初日に訪問した首里城の俯瞰図。首里城に設置されていた多くの門も細かく描かれており、その詳細さに驚く。ただこのような歴史的な建造物も、現代の戦争が始まればアッという間に崩壊してしまう。

 

日露戦争や日清戦争で日本軍は連勝を続け、海外からの下馬評を覆す事に成功したが、強気になった人というのはいつの時代も剣を降ろす事が出来ずに、そのまま破滅の道へと進み続ける運命にあるようだ。小さい国が戦いで領土を広げていくのは人間の支配欲望の一部であるが、領土を広げるのは上手くいっても、その得た土地の管理で失敗する事が多々ある。戦いは上手くても、経営も上手いという訳ではないからだ。

 

 

そして日本は調子に乗って太平洋戦争へ突入し、結果的には惨敗し、自国の領土だった沖縄を米軍に取り上げられてしまう。こちらの黄色いナンバープレートは米軍統治下にあった時代を、彷彿とさせる存在に見える。ただボクが生まれたのは沖縄が日本に返還された後なので沖縄は日本だと思っているけど、もう少し上の世代からすると、今でも外国のような雰囲気に感じているのかもしれない。

 

そんな沖縄戦で市民の命も多く失われてしまう事になったが、今ではそんな悲しい歴史を感じさせないような21世紀の沖縄がここにある。歴史を振り返ると色んな失敗が見つけられるけど、それを悲しむだけではなく、それを後世にどれだけ活かせるかが大事だと思う。

琉球姫
琉球姫

悲しんだ分、笑顔になりたいよね!

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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