東北旅行記2020年冬-⑬:青森編
旅行期間:2020年12月1日~8日(7泊8日)
(Walking around the “Old Ominato Water Source Water Supply Facility” in Ominato, Shimokita Peninsula, which was dedicated to the Navy in the late Meiji Era. [Tohoku Travelogue 13])
近代水道百選?!
ここは青森県でも北側に突き出した、クワガタのハサミの右側部分みたいな場所の下北半島。そしてその下北半島でも陸奥湾を回り込むような大湊地区にある海上自衛隊の基地近くに造られている「旧大湊水源地水道施設」に来ています。この水道施設は今では使われておらず、その代わりに「水源池公園」として町民の憩いの場所になっているようだ。
水源池公園/旧大湊水源地水道施設にて
この「水源池公園」ではこのように雪が積もっている部分もあって、普段は都会暮らしの人間からすると少々テンションが上がってくる場所でもあった。この東北旅では雪一面の景色を楽しみにしていた事もあり、また普段住む大阪市内では殆ど雪が積もらない事もあって、ワクワクしてくるのであった。
東北民からすれば、雪は慣れたモンだべさ!
ここはそこそこに広い公園となっていて、この写真奥側に昔使われていた水道施設が見えているが、とりあえずこちら側に何があるのかを散策してから、水道施設の方へ向かう事にする。
このように歩道部分にはあまり雪が残っていないけど、その脇には雪が積もっている光景が見られる。ただ大阪市民としてはこのような景色を見ると「雪が積もっている」と思うけど、東北に住む人達からすれば、この積雪レベルだと「まだ雪が降ったとは言えない」レベルだったかもしれないが。。
水源地公園内の景観! 動画
この水源地公園内には、このような猿の像が設置されているのが見えた。ちなみにニホンザルが人間を除いた霊長類の中では、最も北に生息しているという。この下北半島と函館の間の津軽海峡に『ブラキストン線』という、イギリスの動物学者が提唱した動物相の分布境界線があり、そこを境にして生き物の分布が交わっていないという。要は流れが激しい津軽海峡を動物が渡れないので、ここが本州の霊長類などの動物にとって北限となっているようだ。
こちらにはサルではなくブタの像だと思っていたが、実はイノシシの像みたいだった。横には『真実一路』というタイトルが彫られた小さな石碑があったけど、そこに籠められた意味合いまでは読み取れなかったが。。
ちなみに『ブラキストン線』に阻まれて、北海道ではイノシシは生息していないという。北海道の生態系は本州と変わっている感じがするけど、そこにはただ単に激しい海流の津軽海峡を動物が渡れなかったという歴史があるのだ。
こちらは『隙なく安全』というタイトルの熊の像が置かれている。このクマも『ブラキストン線』によって津軽海峡で分断されて、青森県内で見られる熊は「ツキノワグマ」で、北海道内で出没する熊はツキノワグマではなく「ヒグマ」だという。
こちらには『必勝亀制覇』というタイトルの像が置かれているが、このウサギも『ブラキストン線』によってその種類が異なっている。だから北海道で見られるウサギは本州のニホンノウサギ系ではなく、エゾユキウサギ(ユキウサギの一種)という本州では見られないウサギになっているようだ。
この場所では宇田川という川が水源になっているようで、自然の川というよりは人工的に造られたような川が目の前に見られる。海軍基地へ水を送る重要な水道施設でもあったので、その上流に跨って河川の補強がされていたのかもしれない。
こちらは『装い』というタイトルのオオハクチョウの像だった。ただ陸上を歩き回る動物ではなく空を飛べる鳥なので、津軽海峡を境にしたブラキストン線には影響していない鳥達。逆に鳥は越冬する為に何千キロも飛んでいくので、他の動物に比べても広範囲の生息分布になっているのだろう。
沈澄池堰堤にて
こちらのダムのように水が溜まっている場所は「沈澄池堰堤(ちんちょうちえんてい)」という、明治42年(1909年)に造られた”日本最古の現存するアーチ式ダム”(小堰堤)。アーチ式ダムというと大きな物だと黒部ダムなどが有名だけど、このダムが造られた当時は今みたいな建造技術が無かったので、”小堰堤”というダムの小型版が造られていたようだ。
旧大湊水源地水道施設の中でもこの「沈澄池堰堤」という小さなダムが一番のメインとなっていて、4箇所の排水溝が造られていてそこから水が流れ降りていく景色が見られるようだ。
これがその4箇所の排水溝で、今は水量がそんなに多くないからか、排水溝から水が豪快に流れ落ちていた訳ではなく、チョロチョロと水が流れ落ちていく景色が見られたが。。
沈澄池堰堤の景観! 動画
この沈澄池堰堤は高さが約9mとなっていて、小さなダムの中には5,000トンの水が貯蔵されていたようだ。今では一般に開放されて公園となっている場所だが、戦前までは日本帝国海軍基地へ水を供給する重要な場所だったので、簡単に立ち入れる場所ではなかった事だろう。
そしてこちらの柵には「熊注意!」と「ヘビ注意!」という張り紙が見られる。もしヘビが出てきてもそこまで驚かないかもしれないけど、クマが出てきたら腰が抜けて逃げれないかもしれない・・・。ただ冬場にはクマも冬眠するハズなので、出没する可能性は低そうだけどね。。
この沈澄池堰堤は”土木学会選奨土木遺産”にも指定されている歴史的な建造物だけど、『近代水道百選』という聞き慣れない物にも登録されているようだ。この『近代水道百選』というのは初めて知ったけど、1985年に現在の厚生労働省が企画した”水道施設の百選”だそうだ。
この沈澄池堰堤の上の通路は自由に歩けるようになっているので、せっかくなので渡ってみる事にした。冬場に雪が降ると、このように人が通った足跡が残るので、どれぐらいの人がここにやって来たかを足跡を見ればある程度分かる。この足跡を見ている分には、今日はあまり来訪者が居ないように思えるが。。
この沈澄池堰堤の真ん中付近には「取水塔」という、ダムの水をくみ上げる施設が造られている。なおこちらの建物は鉄筋コンクリート造りではなくて、木造のような建物に見える外観となっていた。
この取水塔の内部は立ち入り禁止だけど見る事は出来て、特に変わった建物という感じは見受けられなかった。水をくみ上げる場所というよりは、この水源地を監視する人が常駐していそうな建物に思えたのであった。
そしてこのダムから流れ落ちていく先には、さっき上から見えていた海上自衛隊の船などが停泊する基地に繋がっていた。今では水道が敷設されているけど、昔はこの宇田川の水が日本帝国海軍の船に積み込まれていたようだ。
ダムというのも明治後半になってから日本に導入されていったが、当初はまだ建造技術が発達していなかった事もあって、あまり大きなダムを造る事が出来なかった。しかし高度経済成長期になると、建造技術がどんどん発展してきた為に黒部ダムなどのとても大きなダムを造る事が出来るようになっていく。
もう少し寒くなって大雪が降る2月頃には、このダムに溜まっている水も凍るのかもしれない。ここが凍ればアイススケート場にもなりそうな場所のようにも思える。
なお、ここを訪れた翌年の2021年には”沈澄池堰堤の目地補修と上屋の改修”の為に、このダムの水が一時的に抜かれたそうだ。
某番組の撮影で水が抜かれた訳ではないだべ!
今は冬だから全然見えないけど、この水源池公園内には桜の木も植えられているので、春にはこの近くの住民が集う花見スポットにもなっているようだ。冬に来ると桜が咲きそうな場所には思えない青森県だけど、色んな場所に桜の花見スポットが造られているようなので、春頃の観光も人気があるそうだ。
地球の大地というものは大昔から雨の恵みが降り注いだ山から濾し出るように水が河川となって流れてきて、それをただ単に享受していただけだったが、人類の技術の進歩は凄まじく、このようなコンクリート造りのダムでその水をコントロールできるようになった。このような事が当然となった現代に生まれた人ほどに、水の有難みを感じなくなっていくのだろうが。。
仏ヶ浦を目指して移動!
という歴史的な土木遺産にもたまたま出会えてラッキーな見学をした後は、再び車を走らせて次の目的地である「仏ヶ浦」に向かう事にした。下北半島は別名『まさかり半島』とも呼ばれる程に、「マサカリ(斧)」の形に似ている。そしてこれから向かう仏ヶ浦は、そのマサカリの刃の部分に位置していて、暖かい時期であれば青森市からフェリーが出ていて陸路で進むより簡単に到達できるのであるが、今回は冬なのでひたすらに陸路をドライブしていく必要があった。
そして仏ヶ浦を目指して進み出したが、直ぐに陸奥湾が見渡せそうな場所があったので、写真撮影をする為に車を停めた。そしてそこに設置されていた堤防の上には、このようなイワシの缶詰のゴミと思われる物が置かれているのが見えた。
下北半島の防波堤の上のゴミ?! 動画
この防波堤の上に缶詰があるという事は、陸奥湾から運ばれてきた物だったのか? それとも下北半島の人間がここで海を見ながらイワシの缶詰を食べて、その残骸をここに放置したのか?
ただボクに分かる事実は、ここにイワシの缶詰の残骸があったという事だけだった。。
ゴミをポイ捨てする奴は死刑ダ!
こんな旅はまた次回に続きます!
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