かつて飫肥杉の積出港として栄えた油津港で堀川運河を眺める【宮崎旅行記59】

宮崎県旅行記2020年-59

 旅行期間:2020年10月18日~22日
(View the Horikawa Canal at Aburatsu Port, which once prospered as a loading port for Obi cedar.)

かつて栄えた場所の現在

ここはさっきまで訪れていた飫肥城からも近い、昔は飫肥藩の重要な港として栄えた油津という町。ここは主に飫肥藩の名産品でもあった飫肥杉を酒谷川の川沿いに流して、この港まで移動させてここから出荷していた場所。また昭和前半にはマグロの水揚げ量も多くて、昔は栄えた町。。

 

 

 

油津の町にて

一応この油津の町には晩御飯を食べにやって来たのだけど、ここに来たのはもう一つ目的があって、この看板にもあるように赤レンガの建物があるからでもあった。

 

ただこの18時20分頃に油津の町を訪れたのであるが、思った以上に暗くて赤レンガのありそうな場所が始めは全然分からなかった。仕方なしにヤマ勘は諦めてグーグルマップに従ってやっと赤レンガ館を見つける事が出来たけど、想像以上にひっそりとした場所にあって、「この辺に赤レンガ館がある!」と思っていないと見つけれない程だった。

 

ここの「油津赤レンガ館」は大正10年頃(1921年)に造られた建物で、この油津の商人が煉瓦造りの倉庫として建てたものである。なお今でも建物は立ち入りが出来て、1階部分は無料で見学ができるようになっているそうだ。

 

しかし住宅街の一角にあって暗い場所にあったので、夜にこの場所を訪れると赤レンガの建物があるとはなかなか気づきにくい。なおこの赤レンガ館はこの油津の中でも象徴的な建物になったが、平成に入ると利用価値が無くなって持ち主が競売に掛ける事にした。しかしこの町のシンボル的な赤レンガ館を守る為に立ち上がった人達が、自費で約3000万円をなんとか集めてこの建物を買い取る事に成功し、その後は市に寄付されて今に至る。

ただ暗くなってから訪れても、その良さが全然見られませんが・・・

 

勿論この時間だと赤レンガ館は閉まっていたので、仕方なしに他に見るべきものがないかと探してみる。するとさっきは全然気付かなかったけど、今通ってきた道沿いにこちらの「杉村金物本店」という、とてもレトロな建物を発見した。

 

この「杉村金物本店」という金物屋さんの建物は1932年に造られた木造建築物3階建てで、宮崎県建築百景などにも登録されている名物建築物だという。1階は店舗となっていてレトロな内観となっており、2~3階は住居になっている。またこの建物の裏側には3階建てのレンガ倉庫などもあり、レトロな建築物マニアにとっては垂涎の場所となっているようだ。

 

 

この油津赤レンガ館や杉村金物本店がある道は、さっき飫肥城下町の中心を貫いていた国道220号線。飫肥城を横切ってから飫肥駅手前から酒谷川に沿って南下する道。

 

 

木材を運搬する為に掘られた堀川運河にて

そして赤レンガ館周辺は食べ物屋さんが何も営業していなかったので、運河沿いを散策して良いお店を探す事にする。するとこの運河には何ともレトロな感じに見える石橋が架かっているのが見えてくる。

 

こちらの運河は「堀川運河」と呼ばれている川で、文字通り自然に出来た川ではなくて人工的に造られた運河である。しかもこの運河が造られたのは江戸時代初期の1686年頃で、足掛け2年半ほどの工事期間が掛かったようだ。この運河が掘られる事になったのは、飫肥藩の名産品である飫肥杉を酒谷川に流して海近くまで移動させていたのだが、その木材積出港だった油津港までは、一旦川を下って来た木材を海側から移動させて港に移動させないといけなかった。

 

しかし木材を海で移動させるには波などの影響で難易度が高く、場合によっては大きな危険を伴う運搬作業であった。それを解消する為に飫肥藩としてこの運河を掘る計画が起こり、大きな船でも通れるようにと岩盤だった地層に深さ6m(満潮時で)もの運河を掘らせた。

 

勿論現代のように掘削機やショベルカーなどもない江戸時代初期に、岩盤に深さ6mの穴を川幅約30mで、しかもそれを約900mに渡って掘ったのである。今では考えられない位の想像を絶する工事だった訳であるが、この運河が開通した為に木材の運搬効率が良くなって、飫肥藩は潤う事になる。なおこちらのレトロな石橋は、明治36年(1903年)に架けられた「堀川橋」(国登録有形文化財)である。

 

そんな油津港は堀川運河を通って下って来た飫肥杉の出荷や、外洋で獲れたマグロの水揚げが増えたのもあって、一時はとても潤った町。しかし時代が進むに従って、そんな港町も飫肥杉の利用価値が鉄やプラスチックに負けて出荷数が激減し、更には過疎化に陥って次第に衰退していった。

 

この堀川運河は大正~昭和時代に鉄道が敷設されて港行の貨物船にその利用価値を取られてしまい、材木を運搬する船が通らなくなり、生活排水が垂れ流しとなって水質はどんどん汚れていった。そして元々は江戸時代の運河に護岸工事をしていたが、さらにその上にコンクリートを覆って固めた。そして遂には使われなくて汚れた運河を埋め立てする計画まで持ち上がったが、それは地元住民の反対で却下される。そして今では水質も改善されて、護岸もコンクリートを撤去して昔の景観を取り戻すようになっている。

 

この堀川運河に架かっている堀川橋は元々は木造の橋だったが、潰れやすい橋ではなくて潰れない石橋を希望する住民たちの要望が受け入れられて石造りの橋が架けられた。ただ石橋のアーチ型構造の設計の為に、足元を船が通れる空間が必要だった為に両岸の道路部分は約3mも傘揚げされて造られているという。なのでこの両岸道路沿いに面する家は、2階部分に玄関があった家もあったという。なおこの場所はあの伝説的な映画『男はつらいよ』のロケ地ともなっているという(平成4年)。

 

こちらは「吾平津神社」という神社で、ここの祭神は初代天皇:神武天皇の妃であった『吾平津昆売命(あひらつめのみこと)。それもあってこの神社は昔から「乙姫大明神」と呼ばれていたが、明治になってから藩主が「吾平津神社」に呼称を変えたのである。しかし地元の人達はそんな神社を、昔ながらの「乙姫神社」と呼んでいるという。

 

北海道の小樽運河もこの堀川運河のように人工的に造られて、最盛期にはとても繁盛した運河となった。しかしその後は両方ともに産業が衰退して汚れていき、更には埋め立て地になる計画まで持ち上がったものの、最終的には地元住民の反対もあって観光資源として現代まで生き残っているのである。

日向夏男
日向夏男

人間は勝手に運河を掘ったり、埋め立てたりとやりたい放題やね!(怒)

 

 

油津カープ商店街にて

そして明るい照明が灯っている方向に進んで行くと、こちらの「運河通り」と書かれているアーケード商店街の入口を発見する。なおこちらは昭和の前半まではとても賑わった商店街だけど、それからは大きく衰退してつい最近までシャッター街となっていた場所。

 

この油津のアーケード商店街は宮崎県でも最初にアーケード商店街となった由緒ある場所だけど、時代の波には逆らえずにここに入っていた商店は軒並みお店を閉めてしまった。そしてそんな寂しい商店街を復興させる取り組みが2013年から行われ、2017年までには新たに29件もの新店舗を増やす事に成功したのである。

 

この商店街の特徴は単なるお店ばかりではなくて、IT企業なども誘致した為に多くの店舗が利用される事になった。再生を目指した商店街の復興も全国色んな場所で行われているけど、基本的には食べ物屋や野菜/果物店や鮮魚店など、昔から商店街に付き物のお店ばかりしか眼中にない為に、思った以上に新店舗が集まらない事が多い。だけどこの油津商店街ではそんな職種にはこだわらずに、この立地に興味を持ってくれる企業などを誘致したのである。

 

そしてこの商店街は町興しの一環も兼ねて、「油津カープ商店街」と名付けられている。

 

何故、油津の商店街がカープを応援しているの??

と思ってしまうけど、この油津のある宮崎県日南市では毎年春のキャンプで広島カープがキャンプ地に選んでいる場所なので、それを利用した町興し政策の名前となっているそうだ。

 

単にカープという名前を付けただけではなくて、ちゃんと広島カープファンが来て楽しめるグッズショップなどもちゃんと用意されている。

 

宮崎県の青島周辺には読売巨人軍も毎年キャンプにやって来るけど、さすがに巨人軍の名前を使おうとすると競争が激しかったり、その利権争いでモメそうだから全て却下されているのかもしれない。しかしこの意外と地味なカープに狙いと付ける辺りが、この油津商店街の鋭い経営センスが垣間見えるような気がするのである。

 

このようにカープ館だけは、徹底的に広島カープにこだわった店舗となっているようだ。九州というと昔は西鉄ライオンズが居たけど、その後西武に買収されてからは九州にはプロ野球チームが居なくなってしまった。しかしダイエーがホークスを買収してから福岡に本拠地を置いた為に、今では九州全土のプロ野球ファンを福岡ホークスが占領しているイメージが強い。

 

セ・リーグの中でもダントツに地味な市民球団の広島カープであるけど、2016~2018年シーズンはまさかのセ・リーグ3連覇を果たした。ちなみに個人的には2004年に消滅してしまった近鉄バファローズ(世間的には吸収合併)のファンだったけど、それ以来日本のプロ野球には全く興味が無くなってしまい、今ではアメリカのメジャーリーグにしか興味がないのである。。

 

「出川哲朗の充電させてもらえませんか?:南国“宮崎”縦断SP」-油津

「出川哲朗の充電させてもらえませんか?:南国“宮崎”縦断SP」-油津駅訪問

この旅では訪れなかったけど、この油津にある油津駅はこのように広島カープに特化した駅の外装となっている。これも町興しの一環でクラウドファンディングで資金を集めて、このような取り組みが町をあげて行われているようだ。

 

このようにシャッター商店街が新しく生まれ変わって活力が出ている例もあるけど、全国でも同じような取り組みが行われているが、なかなか同じようにうまくいかない商店街も多い。この商店街のやり方をマネしても、結局はそれを実行する人間の能力やセンスに大きく影響されるので、意外とうまくいかない事例の方が多いのだろう。

 

さてそんな商店街などの油津の街並みを見つつ、今晩の最後の晩餐を食べれそうなお店を探します。すると見えてきた、こちらの「日南館(本店)」というお店は築60年の古民家を利用したお店となっており、地産地消の郷土料理が楽しめそうで良かったけど、車の運転が控えているからアルコールは飲めないし、ましてや無職の人間が入れそうなリーズナブルなお店にも見えなかったので止む無くパス・・・。

 

 

もう少しリーズナブルな飲食店を探してウロウロとしていると、ボートレースの場外舟券売り場の看板だけが煌々と光っているのが目に飛び込んで来る。

 

今までボートレースというギャンブルには一切手を出した事がないけど、こんな油津のような町でもやっぱりボートレースを楽しみにしてる人がいるようだ。

 

そんな商店街付近をブラブラと散策していると、ボクが求めているような良い感じのラーメン屋さんが見えてきた。「名物 ネギラーメン」と書かれている文字が、何とも食欲をそそるし、リーズナブルで済みそうな匂いもプンプンしているし。

という事で最後の晩餐は、ネギラーメンに決めました!

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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