宜野湾を眺めてから、中頭方西海道という歴史的な石畳の道を歩む【沖縄旅行記51】

沖縄旅行記2020年秋-51

 旅行期間:2020年11月11日~14日(3泊4日)
(After viewing Ginowan, we walked along the historic cobblestone road called Nakagami West Sea Road[Okinawa Travelogue 51])

400年前の石畳

さて今日の目的地としていた浦添市の浦添城跡伊祖城跡の2箇所を見学出来たので、17時発の飛行機までの時間を潰す為に、ここから宜野湾の港までとりあえず歩いていく事にする。そしてもう12時を過ぎているので、途中でいい食べ物屋さんを見つけて昼食を採る作戦にした。

 

伊祖城跡から宜野湾までは、徒歩で約30分程。

 

 

宜野湾を目指す!

旅先で徒歩で移動すると、その街並みや何気ない景色などを自分の脳に刻み込む事が出来る。だからボクはなるべく徒歩で移動できそうな時は歩くようにしているのだが、その途中で見つけた、こちらの「にんにく居食屋(ありんくりん)という、入ったらニンニク臭くなるのが確定しているようなお店があったけど、残念ながらこの時は営業していなかった。。

琉球姫
琉球姫

ランチ営業はしていないようね!

 

 

そして観光客など全く見かけないような道を進んで行くと、やっと宜野湾が近くなってきて、牧港漁港と書かれた案内板が見えてくる。何故わざわざ歩いてこの宜野湾近くまで来たかというと、1つに浦添城跡から遠くに見えていた宜野湾を近くで見たかった事と、2つにこの港付近にそこで水揚げされた魚が提供されている定食屋らしきお店があったからだ。

 

この辺りは沖縄では郊外にあたるような雰囲気の場所で、本当に観光客など見かける様な場所ではない。場所的には米軍飛行場などが近くにあるのでアメリカ人も多く居る場所らしけど、そんなアメリカ人も歩いて漁港に向かおうという考えの人間はいないようだ。。

 

牧港漁港にて

歩けば歩く程にひと気がなく、車も通らずに、過疎っていく・・・。しかし、周りにひと気が無い場所はボクが好む場所でもあって、逆に観光客の姿を沢山見かける場所程あまり好きではない。

 

程なくすると、こちらの目的地:牧港漁港に到着する。それと目の前の港を横断するように造られている大きな橋は「牧港高架橋」という、ここから那覇空港近くまで繋がる「沖縄西海岸道路」の一部として2000年に開通した橋のようだ。

 

 

そんな牧港漁港の近くに「海鮮食堂 太陽」という、港近くの安くて美味しいという人気の食堂があったけど、何だかあまり魚を食べたい雰囲気にもならずにスルーしてしまう・・・。

オカン
オカン

なんでやねん!!腹、減ってるんとちゃうんか?!

 

 

このように事前に調べていた飲食店を目の前にして、そのお店に入らない事はいつもの事なので、ボクとしては全く気にせずに宜野湾から再びゆいレールの駅がある浦添城方面へと戻る事にした。なお、来た道をそのまま引き返すのも面白くなかったので、ちょっと南側の道を歩いて帰っているのだが、この陸橋から奥を見ると、さっき少し滞在した浦添大公園の展望台の建物が小さく見えているのが分かる。

琉球姫
琉球姫

上を轟音の飛行機が飛んで行っていた場所ね!

 

そして方角だけを頼りに適当に歩いて行くと、こちらの地面が青い競技場が見えてくる。綺麗に管理されている陸上トラックのようだったけど、全然利用している人の姿が見えなかったので。勿体ないようにも思えたが。。

 

ここは「浦添運動公園(ANA SPORTS PARK浦添)」という、浦添市の運動公園で、陸上競技場以外に野球場やプールなど運動施設が一通り揃っている場所だった。そしてここは近年、東京ヤクルトスワローズが2月の沖縄キャンプで拠点にしている場所でもあった。

 

 

ただボクは近年、国内のプロ野球という物に全く興味が無くなってしまったので、そんなヤクルトのキャンプ地という事よりも、目の前の車止めブロックとして設置されていたシーサー像に関心が向いてしまう。よ~~く見るとこのシーサー像の目ん玉部分に反射板が埋め込まれていて、暗くなると車のライトを反射するナイスな仕組みとなっていた。

 

そして頭部分が真っ平になっているのでベンチとしても使えそうなシーサー像が、このように並んでいる光景は意外と圧巻に感じた。下手な車止めのブロックよりも、この可愛らしくて、更には反射板も埋め込まれているシーサー像を色んな所で普及させた方が沖縄らしさがアップしていいなと思ったのである。

沖縄43
沖縄43

シーサー像は座るベンチではないサ~!

 

 

浦添大公園 南エントランス管理事務所にて

そして駅を探して歩いていると、道の脇に大きな駐車場を完備した施設が見えてくる。どうやら観光用の施設っぽい雰囲気がしたので、トイレ休憩も兼ねて寄ってみる事にした。

 

【浦添大公園 南エントランス管理事務所】

住所:沖縄県浦添市仲間2-50-8
営業時間:9時~17時頃(※定休日:月曜)
電話番号:098-876-3555

 

 

どうやら浦添城跡を見学しに来る観光客を迎える玄関口のような場所がここだったらしく、大きな駐車場を完備していて、また館内には浦添城跡の説明資料なども展示されていた。。

琉球姫
琉球姫

浦添城を見学するのは、ここからスタートした方が良かったみたいね!

 

こちらの多目的ホールみたいな所に入ると、このように浦添城の模型が展示されており、またここに居た職員の人が浦添城についての事も詳しく教えてくれた。なお、今いるのはこの模型の下側のだけど、ボクが入ってきたのは右側にある「ワカリジー」という突起した岩が見られる場所だったのである。

 

このように浦添城に関連する琉球王国の国王だった人物などが説明されているパネルが展示されているけど、最初にこれらを見ていてもあまり頭に入らなかったかもしれない。逆に城跡を見学してからこういった資料を見た方が、より頭に入るのかもしれない。

 

ただここに居た職員のオジサンも、この時期はあまり観光客が来なかったからもあってか、暇そうな雰囲気で逆にマンツーマンで浦添城について細かく説明をしてくれた。このようにたっぷり説明してくれると、人が少ない時期に来て良かったと思うのである。

 

浦添城は琉球王国時代に造られたとされている城だけど、このように中国文化を受けた鬼瓦が見つかっているようだ。

オカン
オカン

鬼といっても、アンパンマンに出て来そうな顔のキャラやな!

 

こちらのパネルには、先程訪れた伊祖城跡と、その近くにあった英祖王のお父さんのお墓の写真が掲載されている。浦添城とは関係ない城かと思っていた伊祖城跡だけど、近い事もあって密接な関係だったようだ。

 

そしてここの職員のオジサンが「もし時間に余裕があれば、是非この中頭方西海道を見に行って下さい!」との事だった。どうやらこの「中頭方西海道」という道は、約400年程前に浦添城から首里城まで石畳の街道として整備された道で、その当時の石畳の一部が未だに見られるというのだ。

 

という事でその職員のオジサンに「中頭方西海道」への行き方を教えてもらう。とりあえずこの先に見えている歩道橋を渡って、更に奥に進んで行けば辿り着くという説明だった。

 

そのオジサンの言葉を信じて進んで行くが、周りは住宅街になっていたので本当にそんな歴史的な石畳の道があるのかと半信半疑になりながら進んで行く。そして「近くには浦添工業高等学校があります!」とも言っていたが、程なくしてその高校も見えてきて、オジサンの言う事を疑いつつあった自分を責めるひと時。。

 

 

中頭方西海道にて

するとその近くに、こちらの「中頭方西海道(なかがみほうせいかいどう)の案内板を発見する。この街道は「浦添ようどれ」に葬られている、第二尚氏王統:第7代目の国王の尚寧王時代に整備された街道であるが、尚寧王時代に薩摩藩が侵攻してきて、この街道を利用して浦添城から首里城を攻められて琉球王国は薩摩藩の支配下に堕ちてしまうのである。。

 

ただこの案内板のある場所からは、その歴史的な石畳の道はまだ見えない。初日に訪れた首里城近くの「金城町石畳道」も歴史的な石畳の道ではあるが、金城町石畳道は近年に復元された物で、約400年前の石畳が残されている箇所というのも珍しいそうだ。

 

階段を降りて行くと、中頭方西海道らしき道が見えてくる。交通の便を考えて、浦添から首里城まで街道を築く事によって、商業発展を見込んだ尚寧王であるが、国内は制圧されて敵はいなかったものの、日本国からの敵が侵略してくる事は想定外だったのかもしれない。

 

下に降りるとこのように石畳の道が残されているのが分かる。ただ、この道も全て昔のままで残されている訳ではなく、沖縄戦で破壊された部分などは復元されているので、昔ながらのままに残っているのはその一部分だけのようだ。

 

尚寧王の治世した時代は琉球王国も統一されてかなり時間が経っていたので、国内には目立った敵の存在が無かった頃。そうなると国内の商業に目が向き、通商を円滑に後押しする為にこのような便利な街道整備に着手したようだ。

 

ただ石畳の道も長い年月の間に、その道を通る人が多いと必然と擦り減っていく。しかしこの道は今では車が通れる道ではなく、このように全然人が歩いている姿も見えない道となっているので、あまり擦り減る心配もない道になっているようだ。

 

 

中頭方西海道の景色 動画

 

 

この 中頭方西海道に架かっている橋は、さっきの説明板にもあったように沖縄戦で破壊されてしまって、戦後に復元された橋のようだ。ただそれにしても綺麗なアーチ型で、芸術品のように思える立派な橋が架けられている。

 

このように架けられてかなりの時間を経過しているからか、橋が苔だらけになっているのも風情があって良い感じである。古代琉球王国の頃の建造物が軒並み、沖縄戦で破壊されてしまった沖縄だけど、その一部でも現存している物が見られて嬉しい気持ちになってしまう。

 

ただこのような昔の街道も、今の時代には必要のない道となってしまっている。特に現代は車社会が全盛の時代になっており、昔から街道として栄えた道は狭い為に、それに代わって造られた幅の広い新しい道沿いに街が発展していっている。

琉球姫
琉球姫

使われていない道だから、このように綺麗に残っていたのかもね!

 

そしてこの辺りの地中には、その歴史的な石畳の道が埋まっているようだ。その歴史的な石畳の道を綺麗に後世に保存するには、このように地中に保管しておいた方がいいのかもしれないのだろう。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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