尾道三山の1つ:愛宕山に建立されている、尾道でも最大規模寺院の西國寺【尾道&岡山旅行記㉑】

尾道(広島)&岡山旅行記2021年3月-㉑

旅行期間:2021年3月某日(3泊4日旅)

寺の中の寺!

尾道 御袖天満宮  景色 大山寺

この広島県尾道は昔から瀬戸内海沿いの街道や海運の通り道として発展し、それで儲けた豪商が多く住んでいた場所。そしてその豪商たちが保護した寺などが多く建立されて、戦争で空襲の被害に遭わなかった事で、現在も多くの寺院が残っている場所でもある。

 

 

愛宕山周辺を散策!

尾道 大山寺 本堂 入口

先程訪れた御袖天満宮の直ぐ脇には、こちらの「大山寺(たいさんじ)という寺があった。こちらは江戸時代まで御袖天満宮を管理していた別当寺で、御袖天満宮とほぼ一体化しているような寺のようだ。

 

尾道 大山寺 本堂

江戸時代までの日本国内では『神仏習合』という、日本古来の”神道”と中国大陸から伝来した”仏教”が融合して、1つの信仰として崇められてきた歴史がある。

しかし文明開化が行われた明治時代になって、江戸幕府が推進してきた”仏教”推進政策を見直し、新しい国策として日本古来の”神道”推進政策に切り替える事になった。その際に『神仏分離』が行われて、今までは神道と仏教が一体化していた寺院などは区別されるようになっていった。

もみじ饅チャン
もみじ饅
チャン

政権が代わると、宗教の見直しも入るけん!

 

尾道 大山寺 本堂 脇道

なお、現代世界では「政教分離原則」という、16世紀にフランスで起きた宗教戦争を境にした国教を認めないという施策を行っている国が多い。ただフランスでは宗教戦争が勃発した舞台だけに厳格に政治と宗教が関わらないようにしているが、政教分離が導入されているアメリカ合衆国では、国教を認めないだけで歴代大統領の就任式で神様に誓うなど、キリスト教が根付いている国などもある。

 

尾道 大山寺 寺巡り道

西洋諸国を見習って政教分離が導入されている我が日本でも、表向きは”政教分離”を建前としているものの、今年2022年で一番の大事件となった「安倍晋三 元首相が銃で撃たれて亡くなる」事件で、実は政党と宗教団体が裏で癒着している事実が大きく取り上げられる事になった。

 

実際には過去の歴史を見れば、政治と宗教は切り離せない存在であり、逆に言えば政権を維持する為に宗教が必要だった事が分かる。民衆をコントロールする為に宗教を利用し、古代ローマ帝国ではかつて宗祖を十字架に貼り付けて殺したキリスト教を後に国教として、広い領土を管理するのに活用した歴史がある。

 

尾道 寺巡り道 愛宕山

日本でも仏教が中国から伝来すると、時の権力者が群がって、神道だった日本の国教に仏教を組み込み、融合させて一体化したのである。そして江戸時代に日本を支配した江戸幕府は、日本国を支配する目的で国内に布教されていたキリスト教を弾圧して、国策として国教を仏教に一本化したのである。

このように考えると、多くの人間を操るには宗教というものが必要であるという事がよく理解できる。そして国を管理する為には、その宗教を上手に活用して、民衆をコントロールする事が欠かせなかった。なので多くの人々を管理下に置く国という大きな組織にとって、実質的な”政教分離”はあまり行われておらず、建前的な国が多いのである。

 

尾道 寺巡り道 愛宕山 西國寺

この尾道市内中心部の坂道エリアには、”尾道三山”と呼ばれる山があって、それぞれの山に尾道を代表する寺が建立されている。次のチェックポイントとして向かっている場所は、その三山の真ん中に位置する「愛宕山」で、そこに建立されている「西國寺」を目指して路地を進む。

 

 

愛宕山にある「西國寺」にて

尾道 愛宕山 西國寺 山門

そして路地を進んで行くと見えてきたのは、真言宗醍醐派の大本山でもある「西國寺 摩尼山」の仁王門。最盛期には尾道に80を超える寺院があったが、今では30以下となってしまった寺の中でも、最大級の広さを誇る寺となっている。

 

【西國寺 摩尼山】

住所:広島県尾道市西久保町29-27
参拝時間:8時~17時頃
電話番号:0848-37-0321

 

 

尾道 愛宕山 西國寺 山門 額

この西國寺は奈良時代に建立されたという説があり、その後大火で焼失した鎌倉時代に再建されて、今の広い敷地を持つ寺となったようだ。そしてまた後に火災で焼失し、再び再建されている。ちなみにこの入口にあった仁王門は”広島県指定重要文化財”になっていて、江戸時代初期に建立された物で、400年近くの歴史を持つ建造物。

 

尾道 愛宕山 西國寺 山門 草鞋

ちなみに今見られるこの山門(仁王門)は1740年頃に改修されたらしく、またその山門に取り付けられているのがこの寺のシンボルともなっている大草履。この大きな藁草履は2m近くもあるらしく、これ1つを製作するのにどれくらいに時間が掛かるのかも想像が付かない大きな草履。

 

尾道 愛宕山 西國寺 山門 大きな草鞋

江戸時代までは日本人の殆どがこの藁草履を履いていたのだが、文明開化を迎えた明治時代以降は西洋から靴という物が流入してきた事もあって、現代日本国内では全くこの草履を履いている人を見かける機会が無くなってしまっている。

たまに「カラ~~ン、コロ~~ン!」という音が鳴る下駄を履いている人は見かけるけど、この藁草履を履いている人は本当に見かけない。

もみじ饅チャン
もみじ饅
チャン

見かけないし、履いていても気付かないだけかも・・・?!

 

尾道 愛宕山 西國寺 山門 草鞋 願い事

この藁草履も消耗品で、特に江戸時代には長距離を歩きで移動していた時代だったので、宿場町の入口では使い古されて捨てられた藁草履が山のように積まれていたとか。昔は消耗品だった藁草履も現代人にかかれば、”足が丈夫になるように!”と願掛けされる物となってしまっている。。

 

尾道 愛宕山 西國寺 山門 裏側

こちらはその仁王門を裏側から見ているので、この門の左右に安置されている仁王像は見えないけど、この仁王像は江戸時代以前に製作された物と考えられている。なので、ここの仁王門を訪れた際には大きな藁草履に気を取られずに、しっかり仁王像も見ておく必要がある。

仁王像を思いっ切り、見逃しました・・・・

 

尾道 愛宕山 西國寺 境内

この西國寺を訪れたのは、尾道市内でも印象的な三重塔でも、千光寺近くの「天寧寺の三重塔」と違って、そこまで見学者が少ない国の重要文化財にもなっている三重塔を見学する為であった。こちらの西國寺の三重塔も山の中腹にあって見晴らしがいいのだが、意外と一般的な観光客はここまであまり足を運ばないようだ。

 

尾道 愛宕山 西國寺 境内 山口玄洞 記念碑

そしてこの西國寺境内には、山口 玄洞(げんどう)という明治時代~昭和初期に活躍した日本の実業家のお墓(分骨)が安置されている。この山口玄洞は尾道市出身で大阪に出て丁稚奉公から商売を始め、大正時代の戦争特需で大きく富を築いた人物とされている。

 

なおこの山口玄洞という人物は『寄付王』としても知られた人物で、事業で稼いだお金を惜しみなく寄付した人間として、今でも崇められている。この尾道でも尾道水道の工事費用の大半を捻出し、その御返しとして尾道市から稲荷神社が尾道駅前に移設された経緯などもある。

 

尾道 愛宕山 西國寺 境内 水桶

世の中は欲望が溢れる世界で、大金を稼ぐ程に欲張ってしまう人間が多い中、山口玄洞は惜しみなく大金を寄付して回った。”お金を稼ぐ能力”というのも大したものだと思うけど、それ以上に”お金を使う能力”を自分の為だけに使う人が多いように思われる。そういう意味では他人に役立ててもらう為に、お金を渡すという行為の難しさも感じるのである。

 

 

尾道 愛宕山 西國寺 境内 持善院

こちらは西国寺の塔頭寺院となっている「持善院(じぜんいん)。この「塔頭」とはその寺の高僧などが亡くなった時にお墓が設置された場所で、その亡くなった高僧を崇めていた弟子達がその脇に小屋を建てた。そしてその塔頭寺院は明治時代以降に神仏分離令によって、新たな寺として独立した為に、このように寺の中に小さい寺が乱立しているのだ。

 

今まで色んな寺を見学してきたけど、このような”塔頭寺院”という存在を気にしてきた事も無かった。

「何故、大きな寺の中に小さな寺が何個も入っているのか?!」など、全く疑問にも思ってこなかったのである。。

 

尾道 愛宕山 西國寺 境内 階段

40歳を超える歳になって、今頃ながら寺について勉強したりする日々。いかに今までの人生が日本国内の歴史やしきたりなどを意識する事もなく、また勉強も全くする事なく、生きてきたかが我ながらよく分かるのである・・・。

今が成長期です!!(笑)

オカン
オカン

もっと早く成長期が来てればな・・・

もみじ饅チャン
もみじ饅
チャン

多分、大器晩成型じゃけ!(笑)

 

尾道 愛宕山 西國寺 境内 階段 本堂

そして階段を登っていくと見えてきた建物は、国の重要文化財にも指定されている「西國寺:金堂」である。この金堂は奈良時代に行基が開祖したとされているが、後に何回も焼失し、今見られる金堂は南北朝時代の1386年にこの備前国を治めていた山名氏によって復興された物となっているようだ。

 

尾道 愛宕山 西國寺 境内 階段 建物

「南北朝時代」って実は今までどの時代だったのか、知らなかった・・・。学生時代の勉強を大きくサボっていた事もあって日本国内の歴史を全然知らなかったけど、最近になってから鎌倉時代が終わった次の時代という事を覚えていくのだった。。

 

尾道 愛宕山 西國寺 境内 階段 裏

この西國寺は尾道市内の寺院の中でも最大級というだけあって、まだ奥に繋がる階段が用意されている。これだけの広さがあるという事は、それだけパトロンの力が大きかった訳で、中世の尾道では大きな支配力を誇っていた西國寺だった事が分かる。

 

尾道 愛宕山 西國寺 境内 階段 裏

そしてこの西國寺のもう一つのシンボルともなっている、1429年頃に足利氏の寄進によって建立された、国の重要文化財にも指定されている「三重塔」が上の方に見えている。ただ、もう少し上に登って行かないといけないようで、そう簡単には辿り着けないようになっていた。

 

持佛堂 尾道 愛宕山 西國寺 境内

そして上の段に登ってくると、また別の大きな建物が見えてくる。こちらの建物は「持仏堂」と呼ばれていて、内部には本尊の大日如来坐像などが保管されているようだ。

 

持佛堂 尾道 愛宕山 西國寺 境内 梅の花

持仏堂の境内に桜の木が数本植えられていて、その中にはこのように咲き始めてきた桜も見られた。蕾も一斉に咲くのではなく、人間の兄弟のように咲く順番があって、桜も生きているという事がよく分かる光景でもある。

 

持佛堂 尾道 愛宕山 西國寺 屋根

その持仏堂の正面にはこのようなベンチが設置された唐門があって、この門は江戸時代の元禄(1688~1704年)頃に、千光寺付近からこの場所に移築された建物のようだ。

 

持佛堂 尾道 愛宕山 西國寺 屋根 景色

それなりに歴史のある唐門だけど、今は通行できなくなっていて、迂回してのルートを進むようになっていた。ただ今ではこの場所で休憩しながら景色を楽しめるようにと、ベンチが設置されている。

もみじ饅チャン
もみじ饅
チャン

愛宕山からの景色も綺麗じゃけ!

 

西國寺大師堂 尾道 愛宕山 西國寺

その左側にあったのは「大師堂」という、真言宗醍醐派の大師を祀る為に造られた建物。このように仏教は多神教宗教なので、宗祖であった「仏陀(お釈迦様)」1人だけを祀ればいいのではなく、色んな神様を祀る為に沢山の建物や像などが造られているのである。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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