尾道(広島)&岡山旅行記2021年3月-㊵
旅行期間:2021年3月某日(3泊4日旅)
見た事のある自転車台!
ここは瀬戸内海でも愛媛県今治市側の島「大三島」。その大三島でも東側にある多々羅大橋の袂に、こちらの”サイクリストの聖地碑”なる物が設置されています。
今回は大三島の入口から、今回のしまなみ海道サイクリングでの最終目的地である伯方島へ向かいます。尾道を出発後に約5時間ほど経過しており、尾道までの戻りを考えると遊べる時間が少なくなってきました。
しまなみ海道の”聖地”にて
ここは大三島にある「道の駅:今治市多々羅しまなみ公園」の一角に造られている、サイクリストの聖地なる場所。約8年程前にこのしまなみ海道で、世界的なサイクリング大会が実施された事を記念して、このような”聖地”と名付けられたようだ。
そしてこの場所は愛媛県今治市という事で、前回愛媛県側からサイクリングした際に何度か見かけた人型サイクルスタンドを見かける。
この前は神奈川県の横須賀でも、東郷平八郎像の前に設置されているのを見かけたし。
そしてこのサイクルスタンドが面白いのは、ここには珍しく数体設置されていて、それぞれにポージングが異なっていた点。そのポージングがまるで楽しそうにしている姿にも見えるので、余計に楽しくなる。
なので自分の記念写真よりも、この人型サイクルスタンドと多々羅大橋の記念写真を撮る方が断然楽しい。本来はロードバイクなど自転車立てが付いていない自転車向けのサイクルスタンドだけど、自転車が掛けられているとその姿が見えなくなってしまうので、自転車が無い状態の方が絵になるのだ。
こちらの人型サイクルスタンドは、まるで自分の脇の匂いを気にしているかのようなポージング。歳を取っていく毎に体臭チェックを欠かさずに、オヤジ臭が出ていないかを確認しているようだ。。
知らんウチに、オヤジ臭は出てくるけぇ!
そんな脇の匂いをチェックする人型サイクルスタンドくんに近寄って、凝視してみた。普通の人間だったら恥ずかしがりそうな状況だけど、このサイクルスタンドくんは「どう?匂う?!」って顔をしていた・・・。
こちらは他のサイクルスタンドとは違って、ちょっと真面目な顔をしているようにも見える。遊んでばかりの他の人型サイクルスタンドを見ながら、「もっと俺のように真面目に働けよ!」と言っているかのようだ。
このように多々羅大橋をバックに、数体の人型サイクルスタンドが設置されていた”サイクリストの聖地”。個人的にはサイクリストの聖地碑よりも、よっほどこの個性的な人型サイクルスタンドの方が面白く感じた場所だった。
このしまなみ海道の中でも最後の方に造られた多々羅大橋は、他の橋に比べても格段に進歩した橋建造技術によって、より素晴らしい橋となっている。日本人の技術の粋がまさに集合したような橋でもある。
伯方島へ向かう!
面白い物を見つけるとつい写真を撮り過ぎてしまうが、今回のサイクリング旅も帰りのフェリーの時間が決まっているので、実はそこまでゆっくりしている時間もあまり残されていない。ただサイクリング旅で道も一本道の道路なので、「時間ギリギリになっても飛ばせば大丈夫だ!」と思っていたこの時。
そしてあまりゆっくりする時間がないとはいえ、このような「甘崎城跡」という案内が見えてくると立ち寄りたくなってしまう。一応伯方島へ向かう途中の道路脇にあるという情報なので、城跡に寄り道する事に。
城跡という事なので、昔の城郭が残されている訳でもなく、またそれ程PRされていない事もあって、本当に”城跡”という黄昏た雰囲気が残るだけの場所のようだ。
「甘崎城跡」にて
この大三島の脇にあった島には「甘崎(あまざき)城跡」という村上水軍の拠点の1つとして機能していた城で、秀吉の時代に宇和島・今治に移封された藤堂高虎の支配下となった。しかし、後に藤堂高虎が伊賀国に移封されると廃城となり、廃墟として放置された島になったようだ。
海に浮かんでいるように見える「甘崎城跡」だが、年に数回引き潮時に”海が割れる”ように地繋がりになる日が訪れるという。その日には陸続きで徒歩で島に渡れるらしく、また普段は海中に沈んで見えない石垣跡なども見られるようだ。
かつては城の周囲を高さ2m近くの石垣が取り囲んでいたようだが、廃城となった後にその石垣は全て持ち去られ転用されてしまった。その為に今ではその石垣は殆ど見られずに、代わりに”石垣跡”だけが見られるとか。
甘崎城跡の景観! 動画
年に数回、モンサンミッシェルのように地繋がりとなる為に、このように階段が設置されていた訳だ。ここを訪れた時にはそんな歩いて島まで辿り着けるなんて思っていなかったので、海で泳ぐ人向けの階段かと思ってしまった・・・。
このしまなみ海道サイクリングは時期にもよるけど、同じようなサイクリングしている観光客が少ない時の方が、島らしい自然な景観をより楽しめる。個人的に人がいない所の方が楽しめるのだが、全く人が居なさ過ぎて楽しくはあったものの、地元の人との交流は持てなかったが。。
日本国内には無数に城があったのだが、江戸時代を迎えて一国一城令が発令されてから、その多くの小さな城は姿を消してしまった。そして江戸時代も終わって明治時代を迎え、更に全国の城の大半が破却されてしまうのだが、それもあって余計に江戸時代から現存している城には有難みを感じるのである。
大三島は「神の島」として昔から信仰されており、その大三島では”魚は食べてはいけない”という掟があった為に、漁業が今の時代でも殆ど行われていないという。これだけ豊かな瀬戸内海に囲まれている割に、その恩恵を全く享受されていない島もある事に驚きを感じる。
大三島には「大山祇神社」という昔から有名な神社があるのだが、島の西側にあるのでしまなみ海道サイクリング客にとっては、ちょっと寄り道しにくい場所にある。
多々羅大橋から次の大三島橋までは、8分程で到着する。この大三島橋を渡れば、やっと今回のサイクリング旅の目的地である伯方島へ辿り着く事が出来る。この時点であまりペダルを強く漕ぐ事も無かったので、そこまで疲れてはいなかったけど、帰りには必死にペダルを漕ぐ事になったので、それなりの疲れとなったが。
そしてこちらの自転車&歩行者道入口から、「大三島橋」へと侵入して行きます。一般道では自転車は基本車道の左側通行となっているけど、橋では車道ではなく、専用に用意されている通路を進む必要がある。
橋に向かうスロープはこのように軽い登り傾斜となっているので、その度に自転車のギアを軽い方に切り替える。普段乗りの自転車は8段変速ギアが付いているが、このレンタサイクル屋で借りた自転車は24段ほど付いているので、どう切り替えればいいのかを毎回躊躇してしまい、たまに切り替える方向を間違える時もある。。
そして見えてきたのは1979年に開通した「大三島橋」で、この”しまなみ海道”とも称される本州四国連絡橋の中でも最初に造られた大先輩の橋でもある。なのでただ橋を自転車で渡るだけではなく、それぞれの橋がどの時代に造られたかなどを感じながら走るのも楽しいのである。
この大三島橋が架けられている大三島と伯方島との間には、「鼻栗瀬戸」という海流の強い船乗りにとっては危険スポットがある。干潮時には時速8ノット(約15km)という急流となっていて、昔から有名な難所だったようだ。
「大三島橋」を渡る!
この大三島橋は、このしまなみ海道の中でも最初に造られた橋だけあって、これまで渡ってきたような近代的な橋という感じはあまり感じられなくて、どちらかというと道路の延長みたいに感じた道だった。
なお、しまなみ海道サイクリングをする際には、”風の強さ”も気にしておく必要がある。風が強い日には自転車に乗ると転倒しやすいのもあるけど、それ以上にこのしまなみ海道に架かっている橋が、風の強さによって通行止めとなる為だ。この大三島橋では、風速15m/sを超えると自転車道が通行止めとなってしまう。
なのでしまなみ海道サイクリングをする際には、なるべく天気で風も強くない日を選ぶ必要がある。ただし、事前から予定していても急に天候が変わってしまう事も多々あるので、風が強い日には無理しない事が重要である。
そして伯方島にやっと到着する。2020年9月に今治市側からスタートしてこの伯方島までやって来た訳だが、その時のルートと今回を合わせて、しまなみ海道を貫通した事になる。
一気にしまなみ海道を縦断しようと思うと泊まりとなるので、このように半分半分位でサイクリングすると楽しみが2回に分けられて、旅人にとっては好都合かもしれない。
伯方島の道の駅に到着!
そして前回伯方島に来た時には立ち寄らなかった、「道の駅:伯方S・Cパーク」に無事到着する。前回伯方島に来た時には、伯方・大島大橋を渡って東側に行ってしまったので、この道の駅には立ち寄らなかったのである。
そしてこの伯方島の道の駅をゴールに設定していたのは、前回の到達地:伯方島というだけではなく、人気テレビ番組『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』の中で、出川ちゃんと反町隆史がここを訪れた際に食べていた「塩アイス」を食べたかったからでもあった。
こんな旅はまた次回に続きます!
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