2020年の東北旅も、山形の「おいしい空港」でサクランボも見れずにお終い【東北旅行記99-完】

東北旅行記2020年冬-99:山形編

旅行期間:2020年12月1日~8日(7泊8日)
(My 2020 Tohoku trip ended without seeing any cherries at Yamagata’s “Delicious Airport”!  [Tohoku Travelogue 99])

美味しい空港?!

さて2020年と今から2年前の旅行記も、遂に終焉を迎える日がやって来ました。青森県から始まって、秋田県・山形県と南下してきた旅も、ここ山形県の「おいしい山形空港」で遂に最終回となります。

オカン
オカン

アンタ、今は2022年やで!

 

 

 

「おいしい山形空港」にて

さて「おいしい山形空港」に到着してから、いきなり建物には入らずに、その周辺のサクランボの実がなっていないサクランボ畑を軽く見学してから、満を持したように山形空港の建物内へと進んで行く。

 

この山形空港は1964年から民間の旅客機が運航を始め、最盛期には年間70万人を超える利用客だったが、今では30万人を超える位で全盛期の半分ほどの利用客となっている。現在は国際線の運航はなく、JALとFDAの2社だけの乗り入れとなっている。

 

そしてこのようにチェックインカウンターも、全然人影が見られない。山形駅から乗ってきたシャトルバスから降りた後に、すぐに建物内に入らなかった事もあって、同じバスに乗っていた人は早々に搭乗手続きを完了して、消えてしまっていたようだ。

 

展望デッキへと向かう!

そして悠々と搭乗チェックインを済ませて、空港に来た時にはいつも行く展望デッキへと向かう。いつも飛行機搭乗時間に余裕を持って空港に向かうようにしているので、搭乗時間まで時間を持て余してしまうだけに、このような展望デッキが無いと逆に暇になってしまうのだが。。

 

この時点で16時45分頃だったけど、12月という事もあって、このようにすっかり暗くなっていた。そんなには広くはない展望デッキだけど、普通の空港だったら飛行機を狙うカメラ小僧などをよく見かけるけど、ここ山形空港ではそんな飛行機マニアの姿は1人も見かけなかったが。。

 

FDA(フジドリームエアラインズ)はJALと業務提携しているだけに、JAL好きのボクは意外と利用する事が多い。また直接FDAのチケットを予約するよりも、HISのセールなどのタイミングで飛行機&ホテル付きの旅行プランを選ぶと、結構割安に予約できる時もある。

 

交通の便のいい空港だったら、飛行機の写真を撮りにカメラ小僧が沢山出没するけど、最寄りの駅から歩いて50分前後もかかる利便性の悪い立地にある山形空港で、しかも飛行機の発着本数が少ない過疎空港だけに、このようにせっかくの展望デッキは無人状態だった。。

 

この奥に滑走路が1本造られているのだが、その滑走路の下に地下通路があれば、最寄りのJR駅から10分程で到着する事が出来たハズ。しかし、この空港は元々日本帝国の海軍の飛行場だったので、そんな民間向けの利便性など最初から考慮されずに設計されているようだ。

 

そしてこの山形空港の展望デッキでボクを待ち受けていたのが、こちらの可愛い顔をした”双眼鏡クン”だった。この雪深い山形の展望デッキに剥き出しに設置されていた双眼鏡クンだったけど、何ともこちらに微笑んでいるような表情に思えたのである。

 

そして展望デッキには、このような写真スポットも用意されていた。誰も居なかっただけに思い切って自撮りを行えたけど、「美味しい山形空港」というように漢字の方が意味が伝わりやすいように思えたけど、ひらがなで「おいしい山形空港」との文字が飾られていた。

 

さて空港にやって来た時に行う、いつもの恒例行事を終えて、搭乗口周辺に向かう。この2020年はコロナ禍で大きく飛行機の利用客が激減した年だっただけに、このようにお土産屋さんが営業してくれているだけで、有難く思えた。

 

個人的には”ご当地牛”にはあまり惹かれないけど、お土産を売る立場だったら、その”ご当地牛”のネームバリューを使わない手はないのだろう。こちらの「山形牛 ラーメン」という商品が販売されていたけど、米沢牛ほどのインパクトは感じなかったが。。

 

 

そして山形名物ともなっているのが、この「玉こんにゃく」。一言で言えば、”玉形のこんにゃく”なのであるが、やっぱりアツアツの状態で食べると、とても美味しく感じた。山寺の周辺ではこの玉こんにゃくを、1000段に及ぶ階段を登る前に力を付ける為に”力コンニャク”として販売している。

 

その山寺周辺のお土産屋さんで販売していた「玉こんにゃく」は、同じ物が空港の売店でも売られていたのでお買い上げ。若い自分だったら買わなかったお土産だけど、40歳を超えてくるとこういう物がとても美味しく感じるのである。

 

そして山形名物のお菓子としても人気な、日本製乳が販売する「おしどりミルクケーキ」も購入する。仙台旅行の際に購入して気に入っていたお菓子だけあって山形空港で買う気マンマンだったが、空港内の売店にはあまり種類が置いてなくて、買いたかったサクランボ味を入手できずで残念ではあった・・・。

 

 

 

この山形空港があるのは山形県東根市で、こちらのパネルにも表示されているように、”サクランボの生産量が日本一”の場所である。それだけに東根のサクランボを味わいたかった気持ちもあったけど、さすがに冬に来ても食べれなかった。。

 

さて8日間に渡って訪れた東北旅も、山形空港の搭乗口前で遂に終了となってしまう。旅行社のツアーに参加したりすると、よく「旅行は家に帰るまで、続きますからね~!」と言われるけど、個人的には帰りの飛行機の搭乗口に到着した時点が終わりだと思っている。

オカン
オカン

最後に缶ビールかいな!

 

さて18時5分出発のJAL便の搭乗が開始する。いつも飛行機に登場する際には、最後の方で乗り込むようにしているのだが、この時は全然搭乗客が居なかったので、すぐに乗り込む事になった。。

 

しかし数年前まで会社員をしている時代には、これだけ飛行機に乗る事になろうとは想像もつかなかった。あのまま仕事を続けていればそれなりの人生経験を積めただろうが、仕事を辞めて海外に行ったり、国内の色んな場所に行った事による人生経験の方が何十倍も自分にとっての価値があると感じる。

オカン
オカン

アンタはええけど、周りからしたら・・・(怒)

 

小さな飛行機だけにあまりガラガラには見えないけど、搭乗率20%前後ぐらいだったと思う。飛行機は現代人に欠かせないインフラと化しているだけに、国からしても潰れてもらっては困るだけに、今回のコロナ禍は社会的に融資を行ってでも乗り越えてもらう必要があるのだろう。

 

そして飛行機が山形空港の滑走路を走って、無事上空に飛び出していった。初めての青森県・秋田県・山形県と3県に跨った旅行だったけど、これが2020年ラストの旅行ともなる。コロナ禍が大きく世界を変えた2020年だったけど、終わってみれば色んな経験が出来た年だったと思える事だろう。。

 

 

 

<まとめ>

 

さて2020年12月に東北の①青森県②秋田県③山形県と3県を訪れた旅も、初めての100話到達かと思わせながら、上手い事99話で終わりとなる。

そして今思えば色んな歴史や文化などが学べた旅だったが、その旅のおさらいを最後にもう一度したいと思います。

 

旅の始まりは、青森県の青森空港に降り立った時点から始まった。12月という事もあって東北地方では雪が降りだしてきている時期だったけど、この青森空港が造られている場所は青森の中でも雪深い場所だった。だから空港周辺は雪が積もっていたけど、青森市内に向かうと意外と積雪が見られなかった。

 

ここは青森県でも西側にある「鶴の舞橋」という、”日本イチの木造三連太鼓橋”。奥には”津軽富士”とも称される岩木山が見えて、池のように見えているのは江戸時代に人工的に造られた溜池。ただ木造の橋だったのでてっきり歴史がある古い橋かと思っていたけど、実は観光資源として新たに近年に造られた橋だったので、そこまで古い橋では無かったが。

青森ンゴ
青森ンゴ

今ではすっかり人気の観光地に成長したヨ!

 

そして青森県というと、夏祭りで行われる”ねぷた祭”が有名な場所である。ただ青森県内でも”ねぷた祭”は市町村毎に特徴があり、ここ五所川原市ではこのように高さ20mを超える『立佞武多(たちねぷた)が有名である。

ネプちゃん
ネプちゃん

是非、祭りの時に来るべさ~!

 

そんな青森県五所川原市は、あの人気歌手:吉幾三氏の出身地でもある。独特の津軽弁を使っての、コミカルな歌を作って歌う吉幾三氏は国民的な人気歌手になっているけど、五所川原市には彼のミュージアムも造られていた。ここには出川ちゃんの人気番組『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』でも訪れた場所で、この時の係員のお姉さんはその時にテレビに写っていた人だった。

 

そして五所川原市には、もう一人国民的に有名な人物の出身地である。その有名人の実家がこの立派な歴史ある家屋なのであるが、この実家が地域でも高名な銀行家で政治家でもあったので、意外と裕福な生活環境に育っていたのがビックリだった。

 

そんな有名人は、こちらのマントが似合った「太宰治」。「走れメロス」などの小説で昭和前半に人気を得た作家だったが、結局当時流行った自殺で亡くなってしまった。個人的には太宰治の本は殆ど目を通した事がないだけに、あまり親近感を感じなかったけど、今後太宰治の作品を読む機会が増えてくる可能性を感じた、彼の実家訪問だった。

 

青森県2日目に下北半島を移動したルート

青森県2日目に下北半島を移動したルート

そして本州の北端に位置する青森県の、更に最北端にあるのが右上の方に突き出た「下北半島」。意外と交通の便が悪く、レンタカーを借りて一周したけど、ほぼ一日を費やしてしまった。ただこのような端っこの場所は、戊辰戦争で敗北した会津藩の藩士などが島流しされ、凍える気候の中で開拓を強要された土地だけに、感慨深いものを感じた場所でもあった。

 

こちらは下北半島でも西側の海岸にあった「仏ヶ浦」という、天然に侵食されて出来た大きな奇石だらけの海岸。信仰深かった昔の人達は、この場所を極楽浄土が再現されている場所だと思って、わざわざこの僻地まで巡礼していたという。

 

そしてその下北半島の最北端にあるのが「大間町」で、この大間町で有名なのがこちらに造られている像を見れば分かるように、”クロマグロの町”となっている。それ以外にもこの大間町の北側には北海道があるのだが、その間を津軽海峡が阻んでおり、津軽海峡の急流が本州と北海道を大きく引き離す役目をしていた。

 

 

そしてこの辺りはとても吹き付ける風が強く、帽子など被って訪れた際には、津軽海峡を渡って函館まで飛んでいくかのような突風が吹き付けている場所でもあった。そんな本州最北端の場所には”ブラキストン線”というラインがあって、津軽海峡を境にして北海道と本州側で動物の生態系が異なっているという事を発見した人物の名前が付けられている線だった。

 

そんな僻地にも思える下北半島を訪れた目的は、その下北半島の隅っこに生息しているという「寒立馬(かんだちめ)という馬を見たかったから。九州の南側に位置する都井岬で「御崎馬」という野生の馬を見た事もあって、逆に本州最北端に生息する馬を見たかったという訳。

 

しかし夏場には灯台近くまで入れる尻屋崎だけど、冬場は灯台までの道が通行止めになっているので、冬場に訪れるメリットは少ない。そして肝心の寒立馬は、訪れた12月初旬にはこのように中途半端な場所に放牧されていて、遠目に眺めるだけしか出来なかった。

 

こちらは青森市の名物料理となっている「味噌カレー牛乳ラーメン」という、一般常識ではまずこんなラーメンを食べたいと思わないような一品だった。しかしこのようなふざけたラーメンも、実は色んな物をお遊びで混ぜて頼んでいた学生たちが、試行錯誤を重ねて完璧なブレンドを見つけた逸品で、恐る恐る口にしてみると、ビックリする程にカレーと牛乳の味がいい調和をしていて美味しかったのだ。

青森ンゴ
青森ンゴ

食べたら、みんなハマっているみたいヨ!

 

そして青森市から南に移動して、弘前市に向かう。この弘前市は”リンゴの生産量が日本で一番”という、名実ともにリンゴの街となっていた。駅の改札を出て弘前市に足を踏み出すと、いきなりこのような大きなリンゴのオブジェがお出迎えしてくれた。

 

こちらは五重塔として最北の重要文化財となっている、「最勝院」の五重塔。江戸時代前半に建造されたという歴史ある五重塔だが、雪が沢山降る青森県で350年以上に渡って、多くの雪を受け止めてきた建物でもある。

 

こちらは「旧:第五十九銀行本館」という明治時代に造られた銀行跡の建物だが、この建物を設計したのはこの青森でも有名な「堀江佐吉」という人物。この堀江佐吉はあの太宰治の、今では重要文化財にも指定されている豪華な実家「斜陽館」を設計した人物でもあり、またこの弘前市内には他にも多くの建築物を手掛けている。

 

そして内装も豪華になっていて、当時の第五十九銀行:頭取が「幾らでも金は出すから、豪華な建物にして欲しい!」と言った事もあって、資料館として使うには勿体ない位の立派な建物だった。

 

そしてねぷた祭が有名な青森県だけど、この弘前市では”弘前ねぷた”という、五所川原市の立佞武多とはまた違った山車が使われていた。基本的には昔話から引用された内容に基づいて、山車の飾りつけや人形などが造られており、昔話も勉強しないとこの山車の意味が理解しにくかった。

 

 

今の青森県の県庁所在地は青森市になっているけど、江戸時代にはこの「津軽為信」が藩祖となっていた津軽弘前藩が青森の中心だった。全国的にはあまり有名ではない津軽家だけど、江戸時代270年の間に弘前藩を守り続けた立派な大名だった。

 

そしてその弘前藩の居城だったのが「弘前城」で、城跡には江戸時代初期に建造された門が数点現存していた。昭和時代以降に復元された城が多い中、このような立派な木造の門が複数残されている事に思わず驚いてしまった。

 

そしてそんな弘前城の天守閣は、”今の日本国内に江戸時代から現存する12個の天守閣”の1つに含まれている。ただその天守閣が乗っている足場の石垣に膨れた場所が見つかり、倒壊する前に大規模な補修工事が行われていた。実はこの石垣は約100年前にも大規模な補修工事が行われており、その工事の際に指揮を執ったのが堀江佐吉だったのである。

 

こちらが曳家されてこの場所に一旦置かれていた、弘前城の天守閣。天守閣の建物というと大きな石垣の上に立っているから大きく見えているけど、このように場所を移されると意外と小さく見えてしまうようだ。ただ最初の天守閣は大きかったようだが、途中で焼失してしまって、今見られるこの天守閣は江戸時代後期に造られた物。ただ、江戸幕府に配慮してか、遠慮気味に小さく設計されたというが。。

 

弘前市に来たのであれば「やっぱりリンゴも勉強しないと!」と思って、徒歩で「弘前市リンゴ公園」を訪れた。しかし当然の如く冬場に訪れても雪一面の景色だらけど、リンゴが実がなっている景色は見られず、このように岩木山も綺麗に見えなかった・・・。

青森ンゴ
青森ンゴ

また秋ぐらいに来てネ!

 

「弘前市リンゴ公園」内のお土産店でリンゴが売っていたので、おやつ代わりに購入する。このように雪の中で味わうリンゴは初体験だったけど、この雪を見たくてわざわざ冬に青森県にやって来ただけに、感慨深かったと思わざるを得なかった。。

 

そして弘前市から更に南下して、秋田県大館市に到着する。この大館市は”秋田犬”で有名な場所で、昔は”マタギ”と呼ばれた熊を狙う猟師の相棒として好まれていたようだ。そして日本人にはお馴染みの『忠犬ハチ公』のワンちゃんも、この大館市出身だという。

 

大館市の「秋田犬会館」を訪れると、このように意外と大きい秋田犬が出迎えてくれた。秋田犬ってもっと可愛いイメージがあったけど、闘犬として好まれた事もあって、体の大きな種と交配が繰り返された影響で大型犬になっていった歴史がある。だから秋田犬を飼うつもりだったら、飼いやすい柴犬の方が良さそうにも思えたが。

 

それから秋田市内へ移動すると、秋田駅の改札前にはこのように”なまはげ”のオブジェが出迎えてくれていた。ただ今回の旅ではこの”なまはげ”が伝統的に行われてきた男鹿半島は訪れなかったので、詳しい事は勉強できずだった。。

ハゲる前君
ハゲる前君

男鹿半島まで来ないと、死刑だゾ~!

 

 

この秋田県は江戸時代に、「佐竹義宣」を藩祖とする久保田藩が治めていた場所。この久保田藩も弘前藩と同様に、佐竹家だけで江戸時代を守り通したのだが、これまた東北という少し地味な土地という事もあって、意外と全国的にはあまり知られてない。

 

こちらは久保田城跡だが、明治時代以降に公園として整備されており、このような立派な門が復元されているだけで、天守閣の建物などは特になかったようだ。戦乱が収まった江戸時代には、普段使わない天守閣に多額の費用を掛けて造る事よりも、そのお金を他に使って効率的な藩運営する事の方が、正解だったのかもしれない。

 

こちらは秋田県で最も有名な『竿燈まつり』という、何十個もの提灯をぶら下げて町内を練り歩くお祭り。これは秋田市内にある資料館「ねぶり流し館」を訪れた際の景色だが、ここを訪れた時にフィギュアスケートで人気だった浅田真央:元選手が取材の一環で訪れていた。

久しぶりに芸能人を見ましたよ!

 

ここは秋田市内から北西の日本海側にある「土崎港」という、戦国時代頃からの港町。そんな歴史ある港には、今ではこの「ポートタワーセリオン」という大きなタワーが造られているが、本来は秋田を治めた久保田藩の名産品を北前船で出荷する、重要な港だった場所である。

 

そしてこの土崎港は日本も参戦した第二次世界大戦の、終戦前日にアメリカ軍によって大規模な空爆が行われた場所でもある。こんな東北の港まで爆撃されていたとは全然知らなかったけど、この地域では原油が産出していた事もあって、港周辺に造られていた石油製油所を目当てに爆撃が行われたようだ。

 

こちらはその「ポートタワーセリオン」の無料展望台まで登って、見渡した土崎港の景色。左奥に見える陸地が”なまはげ”でも有名な男鹿半島だが、このような港の役割も産業革命以降に大きく変貌を遂げている。それまでは船から艀で陸地に荷物を運んで倉庫にまた運んで・・・という効率が悪い運搬だったが、1950年代にコンテナが大きく流通するようになってからは、大きなコンテナを受け入れる事が出来る大きな新しい港が発展していく事になった。

 

そして翌日は更に南下して、山形県の新庄市で途中下車をし、最近の新庄名物として売り出している鶏がらスープの”新庄ラーメン”を味わう。青森市内で食べた”味噌カレー牛乳ラーメン”程のインパクトは無かったけど、普通に美味しいラーメンで、毎日でも食べたくなる程に思えた。

 

そして山形市内に入ると、JR奥羽本線の線路脇にこのような大きな大手門が復元されていた。こちらは「山形城跡」で江戸時代には、最上義光が藩祖となった山形藩の居城だった場所。また最近では山形市が映画のロケ地に使って欲しいと招致活動を行っており、ボクの好きな日本映画の一部もここでロケをしていたようだ。

 

そんな山形城跡に鎮座していたのが、こちらの最上義光の騎馬像。伊達家や上杉家と共に”東北の雄”として猛将とも知られている「最上義光」だが、内政面でも優れた指揮を執っていたようで、山形藩初期が最も山形城周辺が栄えていたとされている。しかし最上家はたった3代で改易となってしまい、その後は10回以上も主君が入れ替わって、まともに城を維持できない程に落ちぶれてしまったようだが。。

 

こちらはその山形城跡敷地内に移転して保存されていた、明治時代初期に建造された洋風建築物の病院だった「済生館本館跡」。元々は山形県庁舎の近くにあった建物だが、老朽化で取壊しも検討されたが、重要文化財に指定された事もあって、この地に保管されている。

 

翌日は山形県でも有名な観光スポットとなっている、「山寺(立石寺)」を訪れる。現在の本堂はそんなに高くない場所に造られているが、山の上に造られている”奥の院”が約1,000段の石段を登った所にあり、そこまで登って参拝するのが昔から人気のようだ。

 

 

そんなみんなが「ハア~ハア~・・・」とシンドイ思いをしながら階段を登る山寺は、あの松尾芭蕉が有名な句を詠んだ場所でもある。このようなブログで旅行記を作っている人間からすれば、紀行文の大先輩に当たる松尾芭蕉だけに、恐れ多い山寺訪問だった。。

 

この大きな岩の上に小さな祠が造られている景色は、よく観光パンフレットなどで目にする光景である。なお、この祠の下にはこの山寺を開いた始祖の遺体が埋葬されているらしく、昔の僧達は余程人里離れた場所に住みたかったかがよく分かる。

 

こちらは山形県名物の”玉こんにゃく”。そしてこの山寺周辺のお店で販売している”玉こんにゃく”は、1000段にも及ぶ石段を登る前に力を付ける意味合いで「力(ちから)コンニャク」と呼ばれているらしいが、そういった事を知らずに山寺登りを終えた後に食べてしまったのである。。

 

そして旅の最後に訪れたのが、今回の旅で一番楽しみにしていた米沢の地。ちなみにこのJR米沢駅の駅舎は、米沢市内に現存する明治時代に建造された文化財ともなっている「旧米沢高等工業学校:本館」を、モチーフにした外観となっている。

 

そして”米沢”という名前を聞いて、こちらの「米沢牛」を思い浮かべた人は食いしん坊だろう。江戸時代までは基本的に日本人は牛を食べる文化が無かったが、開国して多くの外国人が流入してきた明治時代になって、その牛肉の美味しさを知った日本人。

 

こちらは米沢市内にある、米沢の地を江戸時代に治めていた米沢藩上杉家の歴代藩主のお墓が設置されている「上杉家廟所」。この米沢藩も江戸時代約270年の間、上杉家だけで守り続けた。しかし、その歴史を詳しく調べてみると、途中に潰れそうになった事もあったけど、1人の名君の出現によって生まれ変わったようだ。

 

この米沢藩上杉家は、あの戦国時代でも有名な武将:上杉謙信を祖としている。ちなみに上杉謙信の墓自体はここではなく、米沢城内に長い間安置されていたが、明治時代以降にこの「上杉家廟所」に移されている。

 

この米沢の地では、米沢藩上杉家の祖として考えられている上杉謙信が神として祀られているが、もう一人こちらにお墓のある「上杉鷹山」も神様として崇められている。現代の米沢の地に暮らす人々にとっては、どちらかというと上杉鷹山の改革の影響を大きく受けている事もあって、神様以上の存在に思われているようにも感じた。

 

そんな上杉家で上杉という名前以外で最も有名な人物が、こちらにお墓があった「直江兼続」。個人的には漫画『花の慶次』で知った人物だけど、世間的にはNHKの大河ドラマ『天地人』の主役となった為に、一躍有名になった人物だ。

 

そんな直江兼続の代名詞が、こちらの『愛』という文字が入った前立てのある兜。この愛は現代人が感じる「愛=LOVE」という意味合いではなかったが、ひと際インパクトがあって、猛将として戦場でも優れていながら、内政面でも優れた手腕を発揮して、豊臣秀吉が引き抜きたかった逸材とされている。

 

 

でもやっぱり「上杉」という名前を聞くと、こちらの上杉謙信が最初に頭に浮かぶ。川中島の戦いで武田信玄と何度も繰り広げられた激戦が有名な人物だが、その反面、とても信仰深い人間で一時は大名という立場ながら、いきなり出家宣言をして飛び出して行ったりと家臣を悩ませる存在でもあったようだ。

 

そしてこの米沢の地を訪れたかったのは、そんな上杉家と共に、こちらの旗にもある前田慶次が晩年を過ごしたとされている場所だからだ。前田慶次の晩年については色んな説があるらしいが、この米沢では駅の東側の何もない場所に屋敷を作って、のんびりと死ぬまで過ごしたとされている。

 

こちらは前田慶次の屋敷近くにあった「慶次清水」という、慶次が飲み水に使う為にここを掘ったという湧き水。一応20~30年前に実施された水質調査では、飲み水としては問題のない範囲と測定されているが、飲みたいと思う泉ではなかったが。。

 

それから近くの「堂森善光寺」を訪れ、境内に造られている前田慶次の供養塔を拝む。1988年に発表された、隆慶一郎著の歴史小説『一夢庵風流記』から始まり、北斗の拳でもお馴染みの漫画家:原哲夫が絵を担当した漫画『花の慶次』が少年ジャンプで連載され、2007年にパチンコ台とのタイアップ機として発売された『CR花の慶次』も大ヒットし、すっかり有名な人物となってしまった前田慶次。

 

「為せば成る」という言葉でも有名な上杉鷹山だが、現代でも改革を行う際の教科書的な人格者という事で尊敬されている。どの時代でも周りに動いてもらうには、まず自分が先頭に立って模範を見せないと動かず、また我慢強く継続して達成するまでやり続ける忍耐が必要である。この鷹山のように偉大な人物が現れなければ、米沢の地も大きく変わっていた事だろう。

 

そんなこんなで7泊8日という、長い東北旅はここ山形空港でお終いとなる。

 

 

2020年 イメージ画像

振り返って見ればこのコロナ禍となった2020年は、1月に【ポルトガル(66話)】&【タイ(17話)】、2月に【スリランカ(43話)】、3月に【ロシア(44話)】と海外に行っていた。

 

 

そしてちょうどロシアから帰るタイミングで、新型コロナウイルス感染が世界中に広まっていた影響で海外に行けなくなり、以前旅で知り合ったオジサンからの誘いを受けて九州を筆頭として国内旅行に切り替わっていった。

 

2020年8月に九州訪問から始まって、

【福岡~鹿児島(98話)】

【北海道/札幌(44話)】

【奈良(14話)】

【愛媛県(53話)】

【奄美大島(43話)】

【神戸(17話)】

【宮崎県(63話)】

【福岡~熊本(64話)】

【仙台(42話)】

【沖縄県(52話)】

【神奈川県(62話)】

 

そして今回の【東北:青森~山形(99話)】と、旅をしてきた。

この2020年に旅行した内容を旅行記として全て真面目に作ったら、何と合計821話になっていた。

朋ちゃん
朋ちゃん

長過ぎでしょ!(笑)

 

真面目に2020年の旅行記821話を毎日1話ずつアップしていたら、そりゃ今は2年後の2022年になっていたという訳。

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

現代版、浦島太郎みたいやけ!(笑)

 

ただこのように800話以上の旅行記を作成していると、勿論膨大な時間を要するのであるが、それ以上に旅行の復習が自分自身にとっても最も価値がある事に気が付いた。

 

普通の旅行者は、観光パンフレットやテレビなどで目にする観光スポットに行って、飲んで喰ってで満足して帰る事が多いけど、そういう旅行の記憶って結構な割合で消えやすい。

 

それに比べてかなりの手間が掛かるけど、このような旅行記に写真をアップして、その土地の事を調べて勉強すると驚く位にその旅行の記憶が残るのだ。

オカン
オカン

私なんか、ドコ行ったか、もう思い出せんわ(笑)

 

勿論「旅」という行為には人それぞれに目的や意味も違うものであるが、ボクにとっては”自分を成長させる為の投資”だと位置づけている。自分の知らない場所に足を踏み入れる事によって、大きく得る物ばかりの旅は、人生で最も有効な投資だと思う。

 

人によっては「旅」ばかりしている人は”浪費家”として捉える人もいるが、それは「旅」というものの真の価値を知らないからそう思っているだけだと思う。過去に偉業を成し遂げた人達は、その多くが”未知なる場所を開拓した人”ばかりで、ある意味、旅人でもあったと思う。

 

勿論、自分自身をそんな偉業を成し遂げた人達と比べるつもりはないけど、このように旅を繰り返しているウチに、常にどこに行ってもアンテナを張り巡らして、何かを察知しようとする能力が強くなってきたと感じる。

 

 

こちらの書は五所川原市の「吉幾三ミュージアム」に飾ってあった、吉幾三氏の直筆の書であるが、ここに書かれているように『生涯旅人』という言葉を胸に、ボクもこれからも旅人として生きていきたい。

 

旅は先入観や偏見やケチな了見をブチ壊してくれる。

その為だけでも旅に出る必要がある。

by マーク・トウェイン(Mark Twain) ・・「トム・ソーヤーの冒険」原作者

 

 

マーク・トウェインの旅についての名言と共に、ボクが生み出した名言(?!)も最後に載せておきます。

 

旅は『投資』だ!

by ヒロくん・・・旅人?!

 

オカン
オカン

そんなんエエから、早よ金稼げ!

 

<完>

 

 

 

 

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↓↓↓↓東北旅行記:↓↓

雪一面の青森空港に降り立ち、東北地方横断の旅が始まる【東北旅行記①】
2020年12月1日に降り立った、雪一面の景色が広がる青森空港。その白い大地を踏みしめて、7泊8日に渡る東北地方の旅が始まりを告げるのであった。。
青森でまず向かったのは、「鶴の舞橋」という日本イチの木造三連太鼓橋が架かる溜池【東北旅行記②】
2020年12月に訪れた青森県で、まず最初に向かったのは日本で一番大きいという木造三連太鼓橋「鶴の舞橋」が架かる津軽富士見湖とも呼ばれる溜池でした。
岩木山を背景にした鶴の舞橋の景色を楽しみ、五所川原の立佞武多館を訪れる【東北旅行記③】
2020年12月の東北旅で訪れた青森県で、まず最初に向かった「鶴の舞橋」で岩木山の景色を楽しみ、それから五所川原市にある「立佞武多の館」を訪れます。
五所川原市の立佞武多館で、巨大な光る立佞武多の山車に見惚れる【東北旅行記④】
2020年12月の東北旅で訪れた青森県で、五所川原市にある「立佞武多の館」を見学します。その館内には実際に夏の祭りで使われる20mを超える巨大な立佞武多の山車が展示されています。
立佞武多館(五所川原市)に立ち並ぶ、巨大なねぷたの歴史を学ぶ【東北旅行記⑤】
東北地方を巡る旅で訪れた青森県五所川原市で、名物ともなっている五所川原立佞武多が展示されている資料館で、そのねぷたについてお勉強します。
五所川原市で立佞武多を見学してから、吉幾三ミュージアムにも立ち寄る【東北旅行記⑥】
2020年12月に訪れた青森県五所川原市で、現地の祭りで使われる大きな立佞武多を見学した後は、近くにある「吉幾三ミュージアム」にも立ち寄ってみました。
「吉幾三ミュージアム」で五所川原市出身の熱き漢の魂を感じる【東北旅行記⑦】
2020年12月に訪れた青森県五所川原市で、ご当地出身の演歌歌手:吉幾三さんのミュージアムがあったので立ち寄ってきました。
五所川原市で太宰治に関連する「思ひ出の蔵」と、生家「斜陽館」を訪れる【東北旅行記⑧】
2020年12月に訪れた青森県で、五所川原市出身の文豪である太宰治にゆかりの「思ひ出の蔵」と、生家である「斜陽館」を訪問します。
太宰治が生まれた青森の家「斜陽館」は、村でも一番の大豪邸だった【東北旅行記⑨】
2020年12月に訪れた青森県で、青森が輩出した文豪:太宰治が生まれた家が「斜陽館」という名前で保存されているので、見学に行きました!
太宰治が生まれた青森にある「斜陽館」の2階も、豪華な造りになっていた【東北旅行記⑩】
2020年12月の東北旅で訪れた青森県の津軽半島の真ん中付近にある、太宰治の生家となっている「斜陽館」。1階部分を見学した後に2階にも登るが、その豪華さには驚いてしまうのであった。。
夜に青森名物の「味噌カレー牛乳ラーメン」を食べて、ベイブリッジ付近を散策【東北旅行記⑪】
2020年12月に訪れた青森県で、夜に青森名物となっている「味噌カレー牛乳ラーメン」を味わい、それから青森ベイブリッジ周辺を散策します。
青森市内から下北半島の陸奥まで移動し、海上自衛隊が見える「大湊:海望館」に到着【東北旅行記⑫】
2020年12月に訪れた青森県で、2日目はレンタカーで下北半島を目指します。冬場はフェリーが出ていないので、陸奥湾を回り込むようにして進み、海上自衛隊の船が見える「大湊:海望館」に辿り着きます。
下北半島の大湊で、明治時代後期に海軍専用だった「旧大湊水源地水道施設」を散策【東北旅行記⑬】
2020年12月の青森県で訪れた下北半島。その途中に「旧大湊水源地水道施設」という明治時代後期に、近くにある海軍基地の専用水道として造られた、国の重要文化財となっている施設跡を見学します!
下北半島のかもしかライン走行中に見つけた、川内川沿いに架かる「あすなろ橋」【東北旅行記⑭】
2020年12月に訪れた青森県で、下北半島の仏ヶ浦へ向かう「かもしかライン」という道を走っている途中に、川内川沿いに架かる「あすなろ橋」を見つけたので小休憩しました。
下北半島の川内ダムを眺め、”日本で最も美しい”佐井村を通って仏ヶ浦へ向かう【東北旅行記⑮】
2020年12月に訪れた青森県の下北半島で、本州最北端の川内ダムを眺めてから西に向かい、佐井村の先にある仏ヶ浦を訪れます。
波で自然に削られた緑色凝灰岩が、極楽浄土のように見える下北半島の仏ヶ浦【東北旅行記⑯】
2020年12月に訪れた青森県の下北半島で、長い年月波に浸食され続けてきた岩が仏のように見える事から名付けられた「仏ヶ浦」を訪れる。
仏ヶ浦から本州最北端の町で、マグロでも有名な大間町に辿り着く!【東北旅行記⑰】
2020年12月に青森県の仏ヶ浦を見学した後は、下北半島の先端にある本州最北端の町でもある「大間町」へ向かいます。この大間町はマグロの水揚げ港としても有名な場所です。
本州最北端の地「大間崎」で強風に吹かれてから、寒立馬を見に尻屋崎へ向かう【東北旅行記⑱】
2020年12月に訪れた青森県下北半島の先端にある大間崎は、本州最北端の地でもあります。大海原から吹き付ける強風を味わってから、下北半島の東北端に住む寒立馬を見に行きます。
12月の尻屋崎で名物の寒立馬に出会える可能性は低い・・・?!【東北旅行記⑲】
2020年12月に訪れた青森県で、旅で一番楽しみにしていた下北半島の先端:尻屋崎に生息している、寒さに強いという「寒立馬」。その寒立馬に果たして出会える事が出来たのでしょうか?!
青森市内で人気のラーメン屋「味の札幌:浅利」で、今宵も味噌カレー牛乳ラーメンを味わう【東北旅行記⑳】
2020年12月に訪れた青森県で、下北半島を巡るドライブ観光を終えて暗くなってきた青森市内で、今晩も青森名物の味噌カレー牛乳ラーメンを人気ラーメン屋「味の札幌:浅利」さんで味わう事にしました。
青森市からJR奥羽本線で、リンゴ生産が日本イチの弘前市を目指す【東北旅行記㉑】
2020年12月に訪れた青森県で、JR奥羽本線に乗ってリンゴの生産量が日本で一番多いという弘前の町を目指して移動します!
日本国内で五重塔として最北の重要文化財となっている塔が目立つ最勝院【東北旅行記㉒】
2020年12月に訪れた青森県弘前市で、寺院が多く立ち並ぶ地域で見つけた五重塔(最勝院)が日本国内で最も北に位置する国の重要文化財だった。
明治時代の名匠:堀江佐吉の最高傑作とも称される、弘前の旧第五十九銀行本館【東北旅行記㉓】
2020年12月に訪れた青森県弘前市内で、明治時代に青森が生んだ名設計家:堀江佐吉の最高傑作の建物ともされている「旧第五十九銀行本店:本館」を見学します。
弘前の「旧第五十九銀行本館」は、明治維新後の紙幣の歴史が学べる記念館【東北旅行記㉔】
2020年12月に訪れた青森県弘前市内で、現在の青森銀行の前身でもある「旧第五十九銀行本店:本館」の建物内で、今までの日本の紙幣についての歴史を学んでいきます。
弘前市の「旧第五十九銀行本館」2階は、社交場のような豪華な部屋だらけ【東北旅行記㉕】
2020年12月に訪れた青森県弘前市内で、「旧第五十九銀行本店:本館」の建物2階部分までしっかり見学していきます。昔の紙幣などが展示されている1階とはまた違った部屋が見られます。
明治36年に造られた、外国人英語教師の宿舎だった「旧東奥義塾外人教師館」を訪問【東北旅行記㉖】
2020年12月に訪れた青森県弘前市の中心部にあった、明治36年(1903年)に造られた英語教師の宿舎だった「旧東奥義塾外人教師館」を訪れました!
弘前ねぷたで使われる山車が無料で見学できる「山車展示館」を見学!【東北旅行記㉗】
弘前市内の大手門広場に造られている「弘前市立山車展示館」では、弘前ねぷたの祭りの際に使われる山車が無料で見学できる場所となっています。
明治39年に青森の名匠:堀江佐吉が建てた「旧弘前市立図書館」を訪問【東北旅行記㉘】
2020年12月に訪れた青森県弘前市にある、「旧弘前市立図書館」という明治39年に青森で名立たる洋風建築物を手掛けた建築家:堀江佐吉設計の建物を見学します!
弘前市立観光館で津軽為信像やたか丸くん石像を見てから、弘前城追手門をくぐる【東北旅行記㉙】
2020年12月に訪れた青森県弘前市で「弘前市立観光館」という観光案内所で津軽為信像の原型やたか丸くんの石像を見た後は、満を持して追手門をくぐって弘前城内へと向かいます!
追手門から弘前城内へと入るが、一旦外堀に出て周辺を散策【東北旅行記㉚】
2020年12月に訪れた青森県弘前市の中心部にある「弘前城」。追手門から敷地内へと進んで行くが、先に昼食を食べようと外堀周辺を散策してみました。
弘前城近くで青森りんごが入った「陸奥湾ホタテカレー」を食べてから城見学【東北旅行記㉛】
2020年12月に訪れた青森県弘前市の「弘前城」周辺で、先に青森りんごが入った「陸奥湾ホタテカレー」を昼食として食べてからお城の見学に向かいます!
改修工事中で石垣が解体されていた弘前城の本丸を眺める【東北旅行記㉜】
2020年12月に訪れた青森県弘前市の「弘前城」の本丸に向かうと、2015年から行われている本丸の石垣改修工事中でショベルカーなどが作業中の光景が見られた。
石垣補修工事の為に曳家移動されている弘前城天守閣を間近に見学【東北旅行記㉝】
2020年12月に訪れた青森県弘前市の「弘前城」の本丸で、2015年から始まった石垣工事の為に曳家移動されていた江戸時代からの天守閣を間近に見学します!
弘前城跡で前川國男が設計した建物となっている「弘前市立博物館」を訪れる【東北旅行記㉞】
2020年12月に訪れた青森県の弘前城跡で、青森県にゆかりのある昭和時代を代表する建築家の一人であった前川國男が設計した「弘前市立博物館」を訪れます。
「弘前市立博物館」で津軽弘前藩など弘前の歴史を勉強!(part1)【東北旅行記㉟】
2020年12月に訪れた青森県の弘前城跡で「弘前市立博物館」を訪れ、弘前市がここまで発展する事になった津軽弘前藩などの歴史を学んでいきます。
「弘前市立博物館」で津軽弘前藩など弘前の歴史を勉強!(part2)【東北旅行記㊱】
2020年12月に訪れた青森県の弘前城跡で「弘前市立博物館」を訪れ、弘前市がここまで発展する事になった津軽弘前藩などの歴史をまだまだ学んでいきます。
「弘前市立博物館」で津軽弘前藩など弘前の歴史を勉強!(part3)【東北旅行記㊲】
2020年12月に訪れた青森県の弘前城跡で「弘前市立博物館」を訪れ、弘前市の歴史をまだまだ学んでいきます。
「弘前市立博物館」で津軽弘前藩など弘前の歴史を勉強!(part4)【東北旅行記㊳】
2020年12月に訪れた青森県弘前市の中心部にある「弘前市立博物館」で、弘前市の歴史をまだまだ学んでいきます。人形などその地方らしい発展をしているので、それらを見るだけでも勉強する事が一杯です。
暗闇に包まれてきた弘前市の街並みは、昼間と打って変わって別景色になる【東北旅行記㊴】
青森県弘前市にある弘前市立博物館で約1時間に及ぶ見学を終えて外に出ると、既に夕暮れ時を迎えて来ていた。そして一旦ホテルに戻ってから、暗くなった弘前市内の街歩きを再開するのであった。。
暗い弘前の街でライトアップに映える、弘前城天守閣や堀江佐吉の建築物【東北旅行記㊵】
2020年12月に訪れた青森県弘前市。暗くなった夜に弘前の街を再び散策すると、昼間とは全然違う顔を見せている建物ばかりで、ライトアップに映える建物の数々を見ていきます。
雪積る最勝院で堀江佐吉の記念碑を拝めて、リンゴ公園を目指して歩く【東北旅行記㊶】
2020年12月に訪れた弘前市で、雪が積もった最勝院を再訪して堀江佐吉の記念碑を拝めます。それから更に西側へ歩き、弘前の名産でもあるリンゴが沢山植えられているリンゴ公園を目指します。
「弘前市リンゴ公園」で、雪が積もる雪国で育てられてきた歴史をお勉強【東北旅行記㊷】
2020年12月に訪れた、青森県弘前市にある「弘前市リンゴ公園」。全国でナンバーワンのリンゴ生産地でもある弘前市だけに、リンゴに纏わる歴史の勉強が必要となります。
冬の「弘前市リンゴ公園」見学は、リンゴより雪が印象的だった・・・【東北旅行記㊸】
2020年12月の冬の時期に訪れた、青森県弘前市にある「リンゴ公園」。冬に訪れると収穫期が過ぎた直後という事もあって、木に実ったリンゴはあまり見られず、雪一面の景色となっていた。。
弘前市のリンゴ公園で、聞いた事もないリンゴ品種を知った日【東北旅行記㊹】
2020年12月に訪れた、青森県弘前市にある「リンゴ公園」。そこにあった施設の中に資料館があって、聞いた事もないリンゴの種類が展示されていて、リンゴについて少々お勉強タイム!
リンゴだらけの弘前からJR奥羽本線で、秋田犬だらけの秋田県大館市に向かう【東北旅行記㊺】
2020年12月に訪れた東北旅で、弘前市からJR奥羽本線に乗り込み、秋田県の大館市に向かいます。大館市は秋田犬の街となっていて、秋田犬が見られるのが楽しみです!
大館市の秋田犬会館で、何とも愛らしい秋田犬を間近で観察する【東北旅行記㊻】
2020年12月に訪れた東北旅で、旅の途中に秋田県大館市にある「秋田犬会館」に立ち寄ります。そこでは愛らしい表情を見せる3匹の秋田犬が出迎えてくれました!
日本唯一の犬の博物館である、秋田県の秋田犬会館で学ぶ秋田犬の歴史【東北旅行記㊼】
2020年12月に訪れた秋田県大館市で、秋田の人々と昔から共に生活をしてきた伝統的な秋田犬の歴史を「秋田犬会館」で学んでいきます。
秋田犬会館見学後に、大館名物の鶏めしではなく、島田屋のカツ重を味わう【東北旅行記㊽】
2020年12月に訪れた秋田県大館市にある「秋田犬会館」を見学した後は、大館名物の鶏めしではなく、大好きなカツを食べる事にしたのであった。
大館市の「秋田犬の里」で秋田犬を見て、夕陽が沈む車窓を見ながら秋田駅に向かう【東北旅行記㊾】
2020年12月に訪れた秋田県大館市。秋田犬の街としても有名な大館市で、駅前に造られていた観光客向け施設「秋田犬の里」に立ち寄ります。
秋田駅に到着してから夜の街をブラつき、スパイシーな「ひよこカレー」を味わう【東北旅行記㊿】
2020年12月に初めて訪れた秋田駅。まずは駅近くのコンフォートホテルにチェックインしてから、夜の秋田の街を散策します。そしてそこで見つけた「ひよこカレー屋」さんに立ち寄る。
秋田市の中心地だった「久保田城跡」の夜は、意外と暗かった・・・【東北旅行記51】
2020年12月に訪れた東北の秋田市。晩飯を食べてから秋田市の中心部となっていた「久保田城跡」を散策しますが、意外と暗くて何も無い城跡のように思えた・・・
江戸時代に秋田の礎を築いた佐竹家を勉強できる「佐竹史料館」【東北旅行記52】
2020年12月に訪れた秋田市の中心部にある「千秋公園(久保田城跡)」の敷地にあった、江戸時代にこの秋田を治めていた佐竹家の歴史などが勉強できる「佐竹史料館」を訪れました。
秋田市内の久保田城跡にある「佐竹史料館」で、毛虫をモチーフにした兜を眺める【東北旅行記53】
2020年12月に訪れた秋田市の千秋公園(久保田城跡)にあった「佐竹史料館」で、ドコから見た事のある毛虫をモチーフにした兜を見つけた!
江戸時代に秋田を治めていた久保田藩の居城:久保田城跡を散策【東北旅行記54】
2020年12月に訪れた秋田県の久保田城跡。そこは江戸時代に今の秋田県を治めていた佐竹家の久保田藩が居城としていたお城です。
『竿燈まつり』など秋田に伝わる民俗芸能を学べる「ねぶり流し館」【東北旅行記55】
2020年12月に訪れた秋田市内で、『竿燈まつり』などこの秋田に昔から伝わる民俗芸能を学ぶ為に「ねぶり流し館」を訪れます。
「ねぶり流し館」で『黒川番楽』や『羽川剣ばやし』など秋田独自の伝統芸能を学ぶ【東北旅行記56】
2020年12月に秋田市内の「ねぶり流し館」を訪れ、『黒川番楽』や『羽川剣ばやし』など、この秋田で独自に行われてきた伝統芸能を学びます。
秋田市内で質屋や呉服屋だった「旧金子家住宅」と旧秋田銀行本店の赤レンガ建物【東北旅行記57】
2020年12月に訪れた秋田市内で、江戸時代からの質屋や呉服屋だった「旧金子家住宅」と、旧秋田銀行本店だった赤レンガ建物という歴史的な建造物を見学します!
秋田市を代表する明治時代に造られた赤レンガ建物だった銀行跡「赤れんが郷土館」【東北旅行記58】
2020年12月に訪れた秋田市内で、旧秋田銀行本店だった明治時代に造られた赤レンガ建物という歴史的な建造物が「赤れんが郷土館」と資料館になっており、その内部を見学します!
秋田駅から一駅移動した土崎で、湊城跡と土崎港伝承館を訪れる【東北旅行記59】
2020年12月に初めて訪れた秋田県で、秋田駅から一駅北側にある「土崎駅」を目指します。かつては港として栄えた街には、久保田城の前に佐竹家が居城にしていた「湊城跡」があります。
土崎港曳山祭りだけではなく、終戦前日に爆撃された土崎の歴史も学べる「土崎港伝承館」【東北旅行記60】
2020年12月に初めて訪れた秋田県で、かつて秋田随一の港として栄えた土崎港。そこでは伝統的な土崎港曳山祭りも有名ですが、第二次世界大戦時の終戦前日に爆撃が行われた場所でもあります。
秋田を代表する港である土崎港の、シンボルマークとなっている「ポートタワーセリオン」【東北旅行記61】
2020年12月に訪れた秋田市の秋田を代表する土崎港。今ではこのように高さ143mの「ポートタワーセリオン」という大きなタワーが造られています。
秋田港を見下ろす「ポートタワーセリオン」展望台の入場料は無料!【東北旅行記62】
2020年12月に訪れた秋田で、秋田港周辺に造られている「ポートタワーセリオン」という大きなタワーの展望台を訪れます。そこは高さ100mながら何と無料で見学できるのです!
新庄市で人気のラーメン屋「新旬屋本店」で、昼の名物「金の鶏中華」を味わう!【東北旅行記63】
2020年12月に訪れた東北旅で3つ目の県となる山形県に入る。そしてまず電車の乗り継ぎで新庄市へ降り立ち、新庄ラーメンとしても有名な地で人気のラーメン屋「新旬屋本店」に向かう事にした。
冨樫義博を始め、新庄市が輩出した漫画家を知れる「新庄・最上漫画ミュージアム」【東北旅行記64】
2020年12月に訪れた山形県新庄市。新庄駅に隣接している施設「新庄・最上漫画ミュージアム」で、ここ新庄市が輩出した世界的にも有名な漫画家:冨樫義博などが紹介されています。
山形駅に辿り着き、「最上義光歴史館」で最上家の歴史を勉強!【東北旅行記65】
2020年12月に訪れた山形県で、まずはこの山形の地を治めていた最上家の歴史が勉強できる「最上義光歴史館」へと向かいます!
かつてこの土地を支配していた最上義光の騎馬像が際立つ山形城跡【東北旅行記66】
2020年12月に訪れた山形県で、廃城になった後に一部が復元されている山形城跡へ向かいます。その本丸でかつてこの山形藩を治めていた藩祖である最上義光の騎馬像に出会いました!
山形市内にある、明治時代初期に建造された洋風病院「済生館本館跡」を見学【東北旅行記67】
2020年12月に訪れた山形県で、山形城敷地内に移動して保管されている明治時代初期に建造された洋風建築物の病院跡の建物を見学していきます!
明治時代初期に建造された「済生館本館跡」で、当時の医学資料などを見学!【東北旅行記68】
2020年12月に訪れた山形県で、明治時代初期に建造された病院跡「済生館本館跡」の資料などを見学していきます!
昔は日本国内で5番目に大規模だった山形城とは思えない、現在の城跡【東北旅行記69】
2020年12月に訪れた山形県で、江戸時代初期には全国的にも大規模だった山形城跡を見学し、それから敷地内にある博物館へと向かいます。
「山形県立博物館」で見た巨大な海洋生物の化石は、かつて山形が海だった証拠【東北旅行記70】
2020年12月に訪れた山形県。山形城跡敷地内に造られている「山形県立博物館」を見学し、かつてこの地が海の底だった事が分かる展示物を眺めていきます!
山形県で国宝にも指定されている「縄文の女神」を山形県立博物館で見学【東北旅行記71】
2020年12月に訪れた山形県。山形城跡敷地内に造られている「山形県立博物館」で、国宝に指定されている縄文時代に女性の形をした『縄文の女神』が展示されています。
「山形県立博物館」で学ぶ、最上氏が中心となって築いてきた山形の歴史【東北旅行記72】
2020年12月に訪れた山形県。山形市にある「山形県立博物館」で、中世頃から山形の地で台頭してきた最上氏によって築かれてきた山形の歴史を学んでいきます。
山形県立博物館の「奇妙で変てこな生き物達展」で、生物の生態を学ぶ【東北旅行記73】
2020年12月に訪れた山形県。山形市にある「山形県立博物館」で、最後のコーナーでもある『奇妙で変てこな生き物達展』も見学していきます!
夕暮れどきの山形城跡で鏡のように景色を反射する外堀を眺めながら散策する【東北旅行記74】
2020年12月に訪れた山形県。「山形県立博物館」見学を終わって外に出ると、既に夕方となっており、黄昏を迎える時間帯となっていた。
山形市内のメインストリート沿いにある「紅の蔵」で、山形の名酒を試飲【東北旅行記75】
2020年12月に訪れた山形県。山形市内にある「紅の蔵」という土産屋店内に設置されていた、日本酒の試飲自動販売機で山形の日本酒を味わい、山形の夜を満喫するのであった。
松尾芭蕉が名句を詠んだ場所とされる、山形で古来より信仰されてきた山寺を訪問【東北旅行記76】
2020年12月に訪れた山形県。今日は山形市内より西側の山寺駅に向かい、山形では昔から参拝客が多かった歴史ある「山寺(立石寺)」を訪問します。
松尾芭蕉の有名な句が詠まれた山形県の山寺境内で、佇む芭蕉の像を眺める【東北旅行記77】
2020年12月に訪れた山形県。今日は山形県でも東側の奥羽山脈の途中にある「山寺(立石寺)」を訪問し、その境内で有名な句を詠んだ松尾芭蕉の像と出会います!
一段ずつ登る事によって煩悩を取り除く事が出来る、山形にある山寺の登山道【東北旅行記78】
2020年12月に訪れた山形県。歴史ある寺「山寺(立石寺)」を訪問し、昔から参拝客に人気の奥の院に繋がる1000段の石段を登って行きます。
山形県の山寺で1015段の石段を登った上に造られている奥の院に到着【東北旅行記79】
2020年12月に訪れた山形県。歴史ある寺「山寺(立石寺)」を訪問し、1015段の石段を登って山頂付近に到着します。
山寺で人気の景観スポットから絶景を眺めて、名物の力こんにゃくを味わう【東北旅行記80】
2020年12月に訪れた山形県。歴史ある寺「山寺(立石寺)」を訪問し、約1000段の石段を登った山頂で高台からの絶景が眺めた後に、地元名物の「力こんにゃく」を頂きます!
山形市内を見下ろす事が出来る、入場料無料の霞城セントラル:展望台フロア【東北旅行記81】
2020年12月に訪れた山形県。「山寺(立石寺)」を訪問した後は一旦山形駅に戻り、駅に隣接した大きな商業ビル「霞城セントラル」の展望フロアに立ち寄り、山形市内の景色を一望します!
米沢の街をブラ歩きながら、米沢藩を治めた上杉家の霊廟を目指す【東北旅行記82】
2020年12月に訪れた山形県。山形市の南方に位置する米沢市に辿り着き、まずはこの米沢の地を治めていた上杉家のお墓を目指して街歩きしていきます!
上杉謙信・景勝・鷹山の亡骸が眠る、米沢藩を治めた上杉家の霊廟「上杉家廟所」【東北旅行記83】
2020年12月に訪れた山形県。米沢市に設置されている「上杉家廟所」で、上杉謙信・景勝・鷹山などの名だたる人物のお墓を見学します!
歴代米沢藩主のお墓が並ぶ「上杉家廟所」も、長い歴史の間に補修されてきた【東北旅行記84】
2020年12月に訪れた山形県。米沢市にある歴代米沢藩主のお墓が設置されている「上杉家廟所」で、昔の霊廟の残骸を眺める!
直江兼続夫妻の墓が安置されている、米沢市にある「春日山林泉寺」【東北旅行記85】
2020年12月に訪れた山形県。米沢市にある米沢藩上杉家の菩提寺だった「春日山林泉寺」の境内で、上杉家に尽力した直江兼続夫妻のお墓をお参りします。
米沢市の「林泉寺」境内に並ぶ、米沢藩主夫人の墓と鷹山が植えたシダレ桜【東北旅行記86】
2020年12月に訪れた山形県。米沢市にある米沢藩上杉家の菩提寺だった「春日山林泉寺」の境内で、米沢藩主の夫人たちの墓などを見学し、それから「旧米沢高等工業学校」も見学します。
米沢城内で、上杉家を象徴する存在だった上杉謙信像を眺める【東北旅行記87】
2020年12月に訪れた山形県。米沢市の中心部には米沢城跡が残されており、今では本丸だった場所に上杉神社が設置されている。その手前には上杉家を象徴する上杉謙信の銅像が置かれていた。
『天地人』でも有名な直江兼続と、米沢藩を創った上杉景勝の像が並ぶ米沢城跡【東北旅行記88】
2020年12月に訪れた山形県。米沢城跡で米沢藩の基礎を作った初代藩主:上杉景勝と、智将としても知られた直江兼続の銅像が仲良く並んでいる光景が見られます。
米沢城で上杉家の雰囲気に浸りつつ、米沢牛コロッケを味わう!【東北旅行記89】
2020年12月に訪れた山形県。米沢城跡を見学した後は近くで販売されていた「米沢牛コロッケ」を食べてホッコリします。。
米沢城跡近くの上杉伯爵邸の庭や城下町を散策し、帰りに米沢そばを味わう【東北旅行記90】
2020年12月に訪れた山形県。米沢城の脇にある「上杉伯爵邸」の庭を散策した後は、米沢駅に向かってかつて城下町だった場所をブラ歩き。最後は米沢でそばを食べて山形駅に戻ります。
花の慶次でもお馴染みの前田慶次が晩年を過ごしたという、米沢市の「無苦庵跡」【東北旅行記91】
2020年12月に訪れた山形県。旅最終日の朝は、再び米沢市を訪れて米沢駅の東側にある、前田慶次が晩年を過ごしたとされる「無苦庵跡」を訪れます。
あの前田慶次が掘って飲み水としていたという、米沢市の「慶次清水」【東北旅行記92】
2020年12月に訪れた山形県。米沢市の東側にある前田慶次が晩年を過ごしたとされる場所を訪れ、前田慶次が飲んでいたという湧き水を見学します!
前田慶次の供養塔がある、米沢市の「堂森善光寺」を訪れる【東北旅行記93】
2020年12月に訪れた山形県。米沢市の東側にある前田慶次が晩年を過ごしたとされる場所を訪れ、前田慶次の供養塔が設置されている「堂森善光寺」で思いを馳せる。
米沢市の宮坂考古館で前田慶次の鎧兜を見てから、上杉博物館へ向かう【東北旅行記94】
2020年12月に訪れた山形県。米沢市で前田慶次が晩年を過ごしたとされる場所を訪れた後は、米沢市にある「宮坂考古館」と「上杉博物館」を見学します。
米沢市の上杉博物館で、米沢藩に貢献した人々の歴史を勉強する【東北旅行記95】
2020年12月に訪れた山形県。米沢市の「上杉博物館」を見学し、ここ米沢藩に尽力してきた人々の歴史などを勉強していきます!
上杉鷹山が米沢に残した遺産を勉強する事が出来る、米沢市の「上杉博物館」【東北旅行記96】
2020年12月に訪れた山形県の米沢市。その中心部である米沢城跡近くに造られている「上杉博物館」で、名君として名高い上杉鷹山の成し遂げた業績を勉強していきます。
笹野一刀彫の直江兼続Verを見たりした米沢の地で、シメに選んだ料理は米沢蕎麦?!【東北旅行記97】
2020年12月に訪れた山形県の米沢市。米沢城跡近くに造られている「上杉博物館」を見学し、米沢市内の蕎麦屋で間違ってうどんを食べてしまって・・・
山形市内を散策してから、山形空港に向かうシャトルバスに乗り込む【東北旅行記98】
2020年12月に訪れた山形県。米沢市から山形市に戻ってきて、少し山形市内を散策します。そして帰りの飛行機に乗る為に、山形空港行きのシャトルバスに乗り込んで空港に向かいます!
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